『いだてん』を観る。確証バイアスというのは恐ろしいもので、五輪出場国への「招待状」のくだりでは現下、世間を騒がせている桜疑惑を想起せざるを得なかったのである。とにかく、クドカンのこの引きの強さは毎度、空恐ろしいほどである。
オリンピックを通じてつながれてきた人々の営みの連鎖が、いよいよ東京でひとつのピークを迎えるという物語構造が、事務総長を退いた田畑から岩田や大松への負託を通じて明らかになろうという最終回二歩手前、シマから人見絹枝、前畑秀子、河西昌枝という女性アスリートの境遇を通じてオリンピックにまつわる「たすき」の存在が浮き上がる流れはまさに劇的というものではないか。沖縄で四つに分かれた聖火が国立競技場に集う最終局面を目にしているいうことだと思うのである。