リム・オブ・ザ・ワールド

『リム・オブ・ザ・ワールド』を観る。エイリアンの襲来によるアポカリプスっぽい話という期待で見たのだけれど、前半はサマーキャンプを舞台にした『バンクス』っぽい展開で後半は少年達のロードムービーとなり、全体に子供向けのつくり。細かいところは陳腐なのだけれど、ジュブナイルなのに死体がゴロゴロというところがNetflixだし、ヒロインが中国人の少女というあたりが今風で悪くない。子供たちがそれぞれのトラウマを乗り越えていく回収の手際も悪くないので案外、観られる。ただ、JPLが兵器開発の研究所みたいな扱いになっているのはどうしたことか。

かくも長き不在

そのスタッフが指示への不服従によって大統領から大統領職を護ったといわれるくらい、かの宗主国の大統領には狂人が居座っているというのがコンセンサスだと思うのだけれど、選挙を前にしたイベントとしかいいようのないアジェンダでこれを招致した挙げ句、あれこれ接待の趣向が伝えられるこの国の政治状況の、そのディストピア感はかつてなく高まっている。

一国の繁栄のためにはその国の政策の信用と質が他国の支援よりも大切であるというルービン元財務長官の信条のひとつには、何を当たり前のことを言うのだろうと思ったこともあったけれど、これほどまでに政治と行政の信用が毀損された上、何しろ増税の上、老後は自助が必要とまで言い始める政策不在の状況を前にしては己が不明を恥じざるを得ない。

1903

Windowsの前回の大型アップデートを即日ダウンロードして痛い目にあった記憶があるのだけれど、今回も早速適用して学習能力が低く果敢なところを見せている。まぁ、命にかかわる問題じゃないのだ。

新しいバージョンは機能の洗練もさることながら、Windowsが宿痾のようにもっている細部のデザインの抜けた雰囲気がだいぶ改善されていて第一印象は悪くない。最近のMicrosoftの仕事ぶりは評価に値すると思うのである。

MMT

NHKのニュースでやおらModern Monetary Theoryの説明がされていて、いまや政府広報というべきテレビ局であるからには、何の観測気球かと疑う。人相の悪い財務大臣が「日本経済を実験場にするつもりはない」などと、威勢のいい答弁をしているところ切り取ってみせる幇間芸もあったりしたのだが、フリードマン流の新自由主義が幅をきかせた時代を経て、ふたたびケインズかと見紛うMMTが台頭しているのも、日本の無節操な金融実験を踏まえてのことなのだから、こいつはやっぱりアホウなのである。

それはともかく、財政赤字にあっても物価の高進がない状況で政府は財政拡大を行うことができるという命題をこれまでの放漫財政で証明したのに続き、10月からの消費増税によっては、課税による需要の抑制により物価は調整されるというケインズの総需要管理政策についても論証されるであろう。もちろん、日銀の政策目標に反して物価の水準はさらに切り下がっていくに違いない。

ポートレイト

これまで専ら横向きにして、ランドスケープのキーボードで使っていたiPadを縦に持って親指で入力することが結構、快適であることに気づいたのである。何しろ、寝転んで使うことができる。そうなってくると、サイズ的に最適なのはiPad miniではないかというところにまで考えが及んで、これまで全く選択肢に入っていなかった物欲の急浮上に動揺している。ファームファクターが旧型ではなく、新しいiPad Proと同様であったら、全く危ないことになっていたと思うのである。

ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃

『キング・オブ・モンスターズ』の公開を前にAmazon Primeにゴジラ映画が大量に来ていて、平成ガメラ三部作の後に金子修介が監督をした2001年の『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』を観たのである。ゴジラという存在を残留思念であるとした怪作で、そこかしこに平成ガメラっぽい雰囲気があるのは確かなのだけれど、平成ガメラの三部作が傑作たりえたのは結局のところ伊藤和典の脚本と樋口真嗣の特撮によるものだということを逆説的に証明するような内容であり、そのことにより歴史的な存在意義を確立しているともいえる。むう。ところで、こんなところに宇崎竜童を担ぎ出したのはいったいどういう経緯だったのか。

シー・ユー・イエスタデイ

『シー・ユー・イエスタデイ』を観る。Netflixオリジナルのタイムトラベルもので、SFとしてはよくある仕掛けでありながら、主人公がブルックリンの黒人のハイスクールガールという設定を使って、社会的少数者の感じている居心地の悪さをストーリーの軸にしているあたりが際立っている。こういう結末が可能であるのがNetflixの強みで、劇場映画であれば脚本の段階でNGになっていたに違いない。

トニー=スタークも真っ青の天才高校生が主人公という無理にも細かいことは言わない。超絶科学を駆使した結果、もはやタイムパラドックスの議論も意味なしという話になっているのがジュブナイルっぽいのだけれど、正直言ってどのようにツジツマを合わせようとしているのかよくわからない。