Netflixで『シャフト』を観る。サミュエル=L・ジャクソンの2000年のリメイクから19年経って、シャフトの生き別れの息子であるジョン=シャフト・ジュニアの友人が殺された事件を親子で追う。以前のリメイクでは叔父の役回りで登場した元祖のリチャード=ラウンドトゥリーが、クライマックスで今度は祖父の役で登場して、ジャンル映画としては平凡なストーリーながら三代揃い踏みを楽しめる仕掛けになっている。とはいえ、ここにあるのはファミリー映画であって、『黒いジャガー』の正系ではないということは確かみたいである。
Month: June 2019
ゼロ理論
『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』読了。15年くらい前に『サスペクト・ゼロ』という風変わりな映画があって、世間的な評価はイマイチながら、FBIのプロファイラーものと思わせて物語があらぬ方向に進んでいくのがちょっと面白かったのだけれど、これを思い出したものである。邦題の「探偵」からオーソドックスなフーダニットと心得ていると徐々に逸脱して、ついには活劇になるあたりが面白い。すぐにでもハリウッドで映画化されそうな話になっていて、好きな向きにはお勧めできる。
宏観現象
今年も庭のジューンベリーが赤々とした実をつけている。しかしこの6月はいつもと様子が違って、これを残らず食べてしまうヒヨドリの襲来がないのは一体どうしたことか。いつもなら根こそぎにされる実は樹上でただ熟しているのである。そういえば今年はシジュウカラの巣作りもなかったのだ。
文化盗用
キム=カーダシアンがKIMONOを商標として登録して、自身が発売するシェイプウェアに使おうとしている話がcultural appropriationだとして炎上っぽい騒ぎになっているそうである。日本人が最近の米国と同じ文脈で体験する「文化の盗用」としては初めての事案じゃないかという気がするけれど、違和感はあるとして、商業的な騒動の範囲に閉じ込めておけばどうでもいいという感じがしなくもない。
個人的には現政権が閣議を「かりゆし」着用で行うテレビ向けイベントこそ、あらゆる倫理的規範に照らして許されないと思っていて、それに比べれば大抵の愚行は目をつぶろうという気になる。
生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者
ハヤカワの『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』を読み始めている。まだ入り口ではあるものの、どこか巻き込まれ型の『ミレニアム』とかヒーロー譚としての『ピルグリム』に近い匂いがして期待が高まっている。
顧客体験
Office365におけるクラウドとクライアントの融合は徐々に充実してきているという印象はあったのである。そしてOneDriveのiOSクライアントにOffice Lensの撮影機能が組み込まれたということにも気づいていたのだけれど、そのカメラでホワイトボードを撮影したらOutlookの予定表から会議名を引用してファイルの名称をつけるところまでやってくれたので、ちょっと面食らっている。ユースケースの研究をかなり真剣にやらなければ、この実装はあるまいと思うのである。最近、よく思うのだけれど、Microsoftのこうした仕事ぶりは全く侮れない。
二分論
バウムガルテンは『美学』について以下のように定義したとWikipediaにある。
可知的なもの、すなわち上位能力によって認識されるものは論理学の対象であり、可感的なものは感性の学(aesthetica)としての美学の対象である
カーネマンを読んでからこっち、すっかりかぶれているので、つまりヒューリスティクな認識を扱うのが美学だろうと合点して、学際的なテーマとして面白い研究があるのではないかと思ったのだけれど、これこそ脊髄反射的な連想であってすぐ忘れるのは間違いなく、日記本来の機能としてここに書き付けておくものである。