京都人の密かな愉しみ Blue 修行中

もちろん正座して『京都人の密かな愉しみ Blue 修行中』の最新話『祇園さんの来はる夏』のオンエアを観る。今回はさきに亡くなった松陰タエこと江波杏子へのトリビュートが冒頭に語られ、物語もタエの葬儀からという、虚実を織り交ぜるスタイルのこのドラマでもとりわけ印象に残るエピソードとなっている。釉子役の相楽樹の交代とあわせ、しかし優にそれを吸収してしまうのだから、京都とその二十四節気という枠組みのなんと強靭なことか。今回は祇園祭を運営する町のシステムをきちんと説明しながらドラマとしても消化していて相変わらず面白い。 もしかしたら遠からず続きが語られるのだけれど、既に楽しみなのである。

そして新たに釉子を演じる吉岡里帆は、ストーリーの展開もあってほとんど別キャラとして成立しているのだけれど、これはこれでアリ。何しろ、まるで人が変わったように、甲田先輩を恋愛対象として想定しているのだけれど、いやまぁ、人変わっているしな。

マインドハンター シーズン2

Netflixで配信の始まった『マインドハンター』のシーズン2、第1話を観る。いったいどうなっちゃうんだよという場面で終わったジーズン1から地続きの展開で、主要なキャストは変わっていないのだけれど、行動科学課の発展的再編の方向がFBIの内部力学の変化を通じて語られる序章。例によって重厚で寡黙、バタバタしたところがない大人の演出で一本一本が映画のような見応えなので満足感が高い。人間の二面性を目の当たりにするとパニック発作を起こすようになってしまったフォード特別捜査官の運命やいかに、という展開なのだけれど、シーズン1のクリフハンガーを引き継ぐこのエピソードの作り方も実にうまい。

インフォグラフィックス

縮小する日本という市場を中心にして本邦の報道機関、特に新聞が淘汰されていくのは避けられないと思うけれど、メディアの使命を全うする上で、コンテンツとして取り組みが足りないのは間違いなくインフォグラフィックスの分野で、論説への傾斜によって視覚化の重要性が軽んじられてきたことは、事実をもとにすべき報道の質にも影響を与えてきたと思うのである。文脈が重要であることは言うまでもないとして、視覚化しなければ構造の問題に気づくことができないのが人間の認知の限界というものであれば。

第2次世界大戦における日本の死者310万人、インドネシアでは400万人、中国で1,000万人以上、これらを含む大東亜共栄圏での死者2,000万人以上という情報が、何度もデザインされることによって喚起される文脈は確実に存在するのではないか。

幕間喜劇

さきの参院選であろうことか議席を確保しながら、政治的常識のレベルを引き下げる活動を精力的に続ける異常な輩を、道化と切って捨てるのは簡単だが、社会を確実に蝕むこれを放置するのは全く正しくないということは何度でも確認する必要がある。それ以前に、このおぞましさはちょっと記憶にない新次元のものだ。それもこれも政治プロセスにおける不正義が糺されないがゆえに起きていることで、世の中はどんどん悪くなっていくという確信しかない。

終わらざる夏

8月15日に向けて浅田次郎の『終わらざる夏』を読んでいる。終戦の後、千島列島東端の占守島で起きた帝国陸軍とソ連赤軍との戦闘を題材にした長編小説だけれど、本土決戦に向けた動員に関わる経緯とそれに翻弄される人々の人生から始まる物語は、いちいち泣かせる筆致で抜群にうまい。そんなわけで黙々と読んでいる。

アザーフッド 私の人生

Netflixで『アザーフッド 私の人生』を観る。MotherhoodならぬOtherhoodというわけで、ニューヨークに出たまま疎遠になった息子たちのところに三人の母親たちが押しかけて子離れと関係の再構築をしようというコメディ。原作は小説のようだけれど、ハリウッド映画としてはよくある話で、全体としてもフェリシティ=ハフマンが裏口入学で訴追された事件で配信延期となったのが数少ない話題とは寂しい限り。ジャンル映画としては水準作で、であればこそ特段の見どころもないみたい。

野尻湖のぞう

義理が出来て北信まで出掛け、時間があったのでナウマンゾウ博物館を見物する。遥か昔の幼少期に、井尻正二の絵本を読んだのはよく憶えていて、展示を眺めつつその教育的効果に感心する。帰りはGoogleマップのナビゲーションに忠実に従う遊びで、菅平高原を経由して帰宅。滅多に訪れない土地をドライブするのは無論、楽しいものである。

『いだてん』はロサンゼルスオリンピックの前半。引き続いて『激闘ガダルカナル』を観る8月の半ば。日本人の組織の愚かさというのは結局のところ普遍的なものであるのがよくわかるのだが、何しろ愚者は経験からしか学ぶことができないので、どのように経験化するかが本邦の課題ということになる。