Netflixで『月影の下で』を観る。原題は『In the Shadow of the Moon』で邦題でも何やら詩情のあるタイトルがつけられているけれど、その実、9年ごとに発生する猟奇的な殺人事件を追う刑事の話だったりする。先行きの予想がつかない展開が持ち味とみえなくもないのだが、事件ものからSFへとシフトしていくにつれ、安易な展開となってしまった感が否めない。同じことなら『ターミネーター』が100倍くらい巧妙にやっているのだが何故、この変奏をしようと考えたのだろうか。
Month: September 2019
チェルノブイリ
期間限定で無料配信されているHBOの『チェルノブイリ』の第1話を観る。HBOのドラマなのでどこにも手を抜いたところがなく、恐ろしい原子力災害の状況を刻々と描いている。炉心そのものが爆散した現場で放水作業を続ける消防士たち、高線量の放射線による急性障害で次々と倒れていく職員、現実を否認し続ける現場指揮。地獄絵図としか言いようのない内容を、精密な筆致で再現しているので、何やら凄いものを観させられたと震える。
この地獄の釜を開いてソビエト連邦は崩壊したが、いうまでもなく、炉心溶融を起こしたもうひとつの国である日本でこそ、本作は観られるべきであろう。フクシマがあってなお、原子力利権が維持されている呆れた拝金国家でこそ。
バトル・オブ・ザ・セクシーズ
『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』を観る。不当な女子差別に対して声を上げ、女子テニス協会を設立したビリー=ジーン・キングの闘いを、“The Battle of The Sexes”と呼ばれたボビー=リッグスとの一戦をクライマックスとして描いた映画。
エマ=ストーンもかなり寄せているけれど、スティーヴ=カレルはボビー=リッグスにそっくりというほかなくちょっとびっくりする。監督は『ルビー・スパークス』のヴァレリー=ファリスで、1970年代の雰囲気をきちんと描いた画面は演出の意図が明快で好感がもてる。しっかりとした仕事ぶりでメッセージにも十分な奥行きがある。
当時のあからさまな差別と男性優位主義を、今にして振り返れば笑止というほかない「男と女は筋肉の質が違うから」といった浅薄な一般化の態度として批判的に描いている。いうまでもなく、同じ思考停止と想像力の欠如はあらゆる時代に存在するということを指し示していて、この映像化の現代的な意義は大きい。
SQL
扱っているデータが大きくてAccessを数珠繋ぎにして凌いでいたのだけれど、それでも2GBの壁を超えてしまいそうな大きさになってきたので、SQL Server Expressをローカルに導入して弄ってみる。このところSQLを書くこともなかったので思い出しながらという拙さだけれど結構、面白い。しかしこうなってくると、これも現実逃避なのではないかと思うのである。
横車
行政が無理筋を通して政治家の言うことに従うのは、この政権で常態化した異常事態だが、改造内閣では常識というものが、またしても非常識に圧されて後退するだろうことが明らかになった。地獄には底がないとはよく言ったものである。
iPadOS 13.1
正式公開となったiPadOS 13.1が来ていたので早速アップデートする。誕生と同時にバージョン13という貫禄だけれど、パブリックベータには時計表示の更新が気まぐれみたいな基本部分のバグがあって、更新を心待ちにしていたのである。
実は新しく実装された機能を使うことはあまりなくて、ホーム画面のレイアウトを変えて喜んでいるくらい。ジェスチャーの変更にはまだ慣れていない。
How dare you!
気候行動サミットでスウェーデンの16歳の少女が社会的にも影響力のある大人たちを前にして、恥を知るべきだという激烈な言葉でその空疎を批判したことについて、こればかりは自分にも向けられた言葉だと思ってまず恥いる他ない。そして、称賛も謝罪も不要であり、ただ行動を求めるということを伝えるのに、これほど端的な表現があるだろうか。