『まんぷく』から100作目の『なつぞら』にかけて、ほとんど欠かさず観て、このところ朝ドラを毎日の楽しみにしていたと言ってもいいのだけれど、下期の『スカーレット』は戸田恵梨香15歳という、役者をあげつらうにはいささか気の毒と思わざるを得ない倒錯設定に、ついて行けない感じ。もちろん、広瀬すずも終盤は30歳を超える役柄を演じていたのだけれど、その声からして、滲み出る貫禄は隠しようもないと思うし、この年代がしばらく続きそうな展開なのである。いやはや。
Month: October 2019
誤解
世の中にはいろんなひとがいるもので、『いだてん』第39回のサブタイトル“懐かしの満州”を頂いて記事を投稿したら、いきなりネトウヨに「いいね!」を食らって気味が悪い。もちろん、この作品はネトウヨとは異なる立場を表明しているのが明らかだけに申し訳ない。脊髄で生きているか、見たいものしか見えない生き物なのだろうけれど、つくづく世の中にはいろんなひとがいるものである。
安定性
iPadOSを導入して特に不自由の自覚もなく使っているのだけれど、ふとした時に例えばiCloudを通じたファイル同期がされていないのではないかとか、4Gが繋がっていないことがあるのではないかとか、実際にはそれなりにクリティカルな不具合がある気がしている。しかし、これが一般的な不具合なのか、固有の環境に依存する不具合なのかがよくわからないので、断捨離を兼ねてとりあえず再インストールを試みたり。ことが複雑になるにつれて、状況がどうなっているか分からなくなるというのはよくわかる話で、何だか責める気にならない。
cohesive
内閣府のホームページには「共生社会」の訳語に「cohesive」という単語が使われていて、inclusiveではない点に挙国一致的なおぞましさを感じるというTwitter上のやりとりがあったのだけれど、台風被害の避難所におけるホームレスの排除や、防災では国をあてにするなという日経の論調をみれば、社会保障のために増税を行うといいながら、その実もはや夜警国家としても満足に機能しておらず、経済システムの稼動という一点にのみ関心を集中させて理念をもたない国のあり方をよく説明する絶妙な訳出というべきではないか。
そうした指向が生産に寄与しない弱者の排斥と表裏一体であることには不思議がなく、政府の冷酷をよく説明して違和感がない。しかしそれをなすのはある種の利権集団であって、既に国家と呼ぶに値しない存在であるだろう。
懐かしの満洲
『いだてん』はいよいよ最終章手前のクライマックス、森山未來演じる古今亭志ん生の『富久』が弟子の小松勝によって金栗四三と繋がる話。大河と呼ぶにふさわしい構築の脚本は巧緻を超えて凄まじいという他なく、役者と演出もそれに応えて一瞬たりともダレ場がない。沖縄のアメリカ、中国の日本、満洲のソビエトを垂直に突き通す視線があればこそ、つまりホンモノの芸能とはこういうものであるに違いない。
18時からのBSと20時の本放送を観て、その都度、中村七之助の圓生に感心する。最高じゃないか。
アンロック
『アンロック』を観る。ノオミ=ラバスが主演でオーランド=ブルーム、トニ=コレット、ジョン=マルコヴィッチ、マイケル=ダグラスの揃い踏みという大作っぽさがありながら、滲み出るこのB級感は何なのか。マイケル=アプテッドというのは『ワールド・イズ・ノット・イナフ』の監督もやった人で、そこには世代的なものがあるような気がしてならない。そんなことよりしかし、オーランド=ブルームのやさぐれぶりに驚いたのだけれど、ジャンル映画と割り切ればそこそこのテンポはあるし、ゼロ年代どころか90年代っぽさの漂うクライマックスからラストにかけての展開はいっそ懐かしい。これもまたオバマ時代の設定なのだけれど、今や世界における危機の所在もだいぶ変わったという感慨しかない。
キャプテン・マーベル
『キャプテン・マーベル』を観る。『エンドゲーム』を先に観てしまっているのだけれど、実を言って『アントマン2』も未見なのである。MCUのファンというには怠惰なので、こういうストーリーだとは知らなかったのだけれど、おかげで結構、楽しめた。フラーケン最高。猫のグースの活躍だけで満足なのだけれど、ブリー=ラーソンも圧倒的にカッコ良くて素晴らしい。何といってもロマンス要素ゼロというのがいいと思うのである。