『アースクエイクバード』を観る。1980年代の日本を舞台としたサスペンス。リドリー=スコット製作総指揮という触れ込みなので作中、『ブラック・レイン』の画面が使われたりもするのだけれど、こちらはどちらかというとサイコ・スリラーの類で、『ブラック・レイン』でいえばマイケル=ダグラスが演じたニックを助けるクラブ・ミヤコのホステスが巻き込まれた事件とでもいうか。主人公は始終、陰鬱な顔をして時折、地震が地面を揺るがすのだけれど本筋とはあまり関係なく、どうやら男女の三角関係が事件の核心にあるのだけれど、この機微も妙に黒ずんでまず面白いものではない。雰囲気はわかる、とはいえ。
Month: November 2019
アクアマン
『アクアマン』を観る。マーベルよりもさらに自由な感じのするDCエクステンデッド・ユニバースだけれど、大西洋に存在する海底人たちの七つの王国がゴッサムシティと同居しているとなれば相当、大胆に拡張された世界観であると覚悟しなければならない。
ジェームズ=ワンが監督で原案にもかかわってるらしいのだが、ストーリーは異種婚姻譚に始まりオーソドックスな貴種流離譚と聖杯探求譚というべきもので、何しろ主人公の名前がアーサー王に因んでアーサーなので、物語類型の見本帳みたいなつくりになっている。尺の方も143分とDCEUの通例に従って長いのだけれど、わかりにくいところはほとんどないので単純に楽しめるのではないだろうか。ジェイソン=モモアとアンバー=ハードのヒーローとヒロインは、今どき珍しいくらい古典的なマチスモ的世界観で、かえって新鮮にとられたのではあるまいか。
腐敗
何年かの居直りの集大成というかたちで見苦しい言い訳と証拠隠滅を重ねている政権が、このまま横車を押し通せることなどあり得ないだろうという予想だけが心の平安の支えというものだが、極めて常識的なその予想を裏切るかたちで政治が何年もジャックされてきた結果、官僚システムは寡頭制政治の共謀共同正犯というほかない存在に堕して、この国の根太は既に抜けてしまっているのではないか。打ち壊すべき対象というよりは、単に腐敗しており見るに耐えない。
Mac OS 9
書斎好きとしては筒井康隆の自宅でのインタビュー記事を興味深く読み、もちろん電脳筒井線の時代からパソコンユーザーであることは明らかではあったけれど、2019年の現在、Mac OS 9を現役環境として日々、執筆を行っていることを知って驚愕する。あの懐かしいスタートアップ画面を久しぶりに見たことよりは、主として機材が動いていることに。
思えば20年前のコンピュータは耐久消費財の名に恥じぬ働きぶりで、部品ひとつの冗長性もケタが異なっていて、その命数を決めたのは際限なく重くなるソフトウェアと処理速度に対する要求だったのである。
G線上のあなたと私 第7話 大人になるとき
『G線上のあなたと私』の第7話を観る。いたるところにすれ違いが配置され、イベントが起きそうで起きない展開の回。このあたりの古典的な物語手法を手堅く運用して役者に演技をさせているのを楽しむ火曜日夜の至福。
1909
Windows 10のバージョン1909、いわゆるNovember 2019 Updateが配信されていたので、ほとんど条件反射という感じでアップデートに突入する。言うまでもなく、プロならきちんと動作確認をすべきところである。とはいえ、今回のアップデートは噂に聞いていた通り、ほとんど一瞬で完了し、既に蓄積されていた更新がつるりと表出してきた印象で手堅さに好感がもてる。しかし、変更点はほとんど間違い探しの様相でバージョンナンバーを確認したくらい。
ぼくたちの失敗
『いだてん』を観る。今回を入れて残り4回の放送とは寂しい限り。インドネシアの陸上競技大会参加問題に端を発して田畑政治が事務総長を解任される。その渦中にあって田畑は高橋是清にオリンピックのカネを出させた若い時の自分の行動がそもそもの間違いの始まりだったことに気づく。近代オリンピックがその成り立ちから大いなる制約のもとにあり、失敗は今も修正されることのないまま2020に繋がっているのは既に明らかになっている通り。
これまで何回か登場してきた落語「替り目」を使って田畑と志ん生の人生の落日を交錯させる脚本の冴えには涙するしかない。そして自分はどこで間違ったのかという自問には『真田丸』を想起したものである。非常に大河らしい余韻を感じさせる回で、物語はついに着陸態勢に入っていく。