『ディストピア パンドラの少女』を観る。ケアリーの小説のエッセンスを抽出し、お金のかかりそうなところはうまく再構築して111分の尺に収めているのに感心したのだけれど、M=R・ケアリーその人が脚本を書いているというのでなるほどと思ったことである。いわゆるゾンビ映画の系統に連なりつつ、ホモ・サピエンスの絶滅とヒト属における種の交代という大きなテーマを扱っているのが特徴で、いかにも映画風の象徴的なエンディングを用意しているのはうまい。
Month: November 2019
深淵へ
『フォー・オール・マンカインド』の第5話を観る。アポロ15号は月に着陸し、ラストシーンでいよいよ世界線は大きく変容する。ある意味、ぶっとんだ演出でこれまででは次回が一番、楽しみなクリフハンガーといえる。つまり、いったいどういう話が続くというのか。『スペース1999』に接続していく世界というのであれば全面的にこれを支持する。是非。
REPLAY2019
不愉快な政権の不愉快な不法行為のニュースに明け暮れているうち、いつの間にか年末と言ってもおかしくない時期になっている。何しろ、Apple MusicがREPLAY2019というプレイリストを作成して早くも今年を振り返ってくれるというので動揺している。さよなら、2019年。
履歴から今年一番良く聴いた100曲をプレイリストにまとめてくれるという、いかにもサブスクっぽいサービスで、自分のデジタルツインがどういう傾向なのかよくわかって面白いのだけれど、つまりBiSHを結構、聴いていたということでいいのではなかろうか。
G線上のあなたと私 第5話 なんで結婚するの?
『G線上のあなたと私』の第5話を観る。安定の金子文紀の演出回。初めから終わりまで人々の行き交う自由通路のシーンみたいな印象があったけれど、海老名あたりでのこうしたロケを敢行するというのも結構、大変なんじゃないかと余計なことを心配している。たまたまバイオリン教室で行きあった三人の話であるからには、その演出意図はわかるとして。
波瑠というひとのドラマは朝ドラを早々にリタイアした記憶しかないけれど案外、いい役者じゃないかという気になっている。だいたい眼鏡が似合うことがこの物語における絶対的な条件なのだけれど、これはクリアしているではないか。
CSF
いまさら、豚コレラの農林水産省での呼称が「CSF」に改められるという記事が新聞の社会面にひっそりと掲載されていて、まず言語に介入して継続的に生じている問題を矮小化しようという「非正規」問題に近い雰囲気を嗅ぎとって不愉快になる。Classical Swine Feverと呼んだところで、問題がなくなるわけではあるまいに、今さら風評被害というのは何なのだ。一事が万事、この手のゴマカシが蔓延しているのが本邦の今ココなのである。
zazen
このところYouTubeでNumber Girlのライブばかり観ていたので、当然のようにZAZEN BOYSをオススメされるようになって、これまた当然のことながらそのパフォーマンスは常軌を逸して凄いことになっているのでついつい観入ってしまう。圧倒的。
東京流れ者
もちろん『いだてん』を観る。朝霞で計画されていた選手村を代々木のワシントンハイツに変更するための政治工作が、公共の私物化とは反対の、個人の熱意の公共化という構造をもって描かれるあたり、立ち上がってくる現状批判の文脈はそれだけで見事だけれど、東京で計画されていたマラソンが札幌に開催地変更となったリアルタイムの事情を踏まえれば、シンクロの具合はほとんど神がかっていると感心せざるを得ない。
朝霞での埼玉オリンピックが実現することはなかったが、もちろん今度こそ札幌オリンピックと呼ぶべき状況でそこに見て見ぬふりを決め込むあたり、どうやら日本の東京化はこの50年でもだいぶ進んだようである。
嘉納治五郎が降臨するという自在なストーリー展開も異色というべきだが、何しろ『東京流れ者』という副題がついている回としてはこれでもおとなしい。