大晦日

やることもないので坊やとバーガーキングでワッパーを食べたり、その足でヨドバシカメラに行って店頭を冷やかしたり。大晦日の人出は日曜日の8割というところ。

家で年越し蕎麦を食べて紅白を半分くらい眺め、ごろごろしているうち2019年も終わる。何ごともないというのは、それ自体かなりめでたいことである。

ペンギン・ハイウェイ

『ペンギン・ハイウェイ』を観る。2018年のアニメ映画。もちろん、森見登美彦の原作小説は繰り返し読んでいるのだけれど、あの繊細な美しさをアニメーションに写しとることができるのか、いやそれは難しいだろうという気分があって、これまで未見だったのである。これはほとんど杞憂だったと言っていい。

アオヤマくんの日常の記号が、どうしてこれほどまでに切ない気持ちを喚起するのか。人間が生を受けて、初めて死というものを深く考えるその時間についての物語を、こんなにも美しい感情だけで紡ぐことができるというのは、ほとんど奇跡的と思っている。さすが、上田誠の脚本はいちばん重要なところを映像におとしていて、不可避的に何度も涙ぐむ。

かわさき

特に買い物はないのだけれど、新しく出来たApple Store 川崎に出かけてぶらぶらする。ラゾーナ川崎に行ったのは初めてだけれど、Apple Storeも含めてどこかで見たような商業施設なので初訪問の感動もイマイチ。いやいいんだけれど。年の瀬の休日だけあって人出は凄まじいもので、特に収穫もなく帰宅。

2019年に観た映画のこと

このところ、以前に比べて映画を観るペースが落ちていることについては自覚もあるのだけれど、2019年の鑑賞本数は90本そこそことなりそうである。Netflix、Amazon Primeに加えてApple TV+が加わったサブスクリプションの充実に比べてのこの状況は、選択の充実が必ずしも消費につながる訳ではないという行動のパターンを示唆していて興味深い。昨年の暮れにも高度資本主義経済におけるこのあたりの文化的荒廃を反省した覚えがあるのだけれど結局、YouTubeあたりに有限時間を振り分ける愚行を重ねて2019年も終わる。

フォー・オール・マンカインド

そのApple TV+の参入にどのような勝算があるのか今のところはよく分からないけれど、いくつかの質の良いコンテンツのなかでも『フォー・オール・マンカインド』は一頭地抜いていると見えて、シーズン1計10話の世界線をかなり楽しむことができた。いくらでも続けられそうなストーリーでもあって、初めからシーズン1と冠されたこの物語がどこへ向かうのかということだけが、気がかりといえば気がかり。

ファースト・マン

デイミアン=チャゼル監督の『ファースト・マン』は同じく月面ミッションをテーマとして、しかしさすがにこの監督が大作映画の予算で作ればレベルが違うという唸るような出来栄えで、ことにアポロ11号の月面着陸シーンはこれまで想像したこともなかったような緊迫感で描かれており、強く印象に残ったのである。『アド・アストラ』『フォー・オール・マンカインド』と月面を描いた映画が多くあった年でもあったけれど、本作の演出はピカイチといわなければならない。

アベンジャーズ/エンドゲーム

マーベルの映画は嫌いではないけれど、世界の広がりすぎた『アベンジャーズ』には正直、ついていけなかったところもあって、『エンドゲーム』にあわせてMCUの幾つかの作品を急ぎ鑑賞し辻褄を合わせた格好。『インフィニティウォー』から『エンドゲーム』にかけて紡がれた長大なクライマックスは、派手な映像ではあるけれど演出や画面設計はイマイチという過去の幾つかの『アベンジャーズ』に比べると見どころも多くて、かなり楽しめたのである。

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

しかしMCUかモンスターバースかと問われれば断然、後者であるというのが当方の立場で、『エンドゲーム』と並べれば『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』に票を投じたい。世間的な評判は措くとして、怪獣過多というべき本作はマニアの妄想によってのみ成立し得た濃度があったと思うのである。

ウィンストン・チャーチル

2019年の初めには『イントゥ・ザ・ストーム』と『ウィンストン・チャーチル』という、第2次世界大戦に突入していく英国とチャーチルを描いた2作を続けて観たことがあったのだけれど、特に『ウィンストン・チャーチル』は英国の危機がもっとも深刻な局面にあった時期に時間軸を絞り、原題の通り『DARKEST HOUR』を描き切って見応えがあった。一方、保守党が選挙に勝利してBREXITに突き進む現代の政治状況を考えると、彼我の距離には目眩がするほどである。

いだてん

歴史を扱いながら対照となる現代を鮮やかに想起させた同様の物語として、本邦にはもちろん『いだてん』があって、一年にわたり長大な物語を構成しきった製作と脚本家の仕事には感嘆する他ない。2019年のいちばんの収穫を挙げるとすればこのドラマになるのではないか。個人の熱意を公共化しようという登場人物の不在を改めて認識したその結果、2020には何の興味も持てないという現下の気分と合わせ、優れて同時代的な作品であったと思うのだが、そんな大河がこれまであっただろうか。

憎悪に満ちた嘘の言葉が現実をハイジャックしたような状態が続いているけれど、そろそろ反攻が始まりそうな気配もある。嘘を無効化するのが結局のところ物語の力であれば、映画とドラマの方面でも2020は豊穣の年となるのではあるまいか(期待)

ホールセール

帰省のついで、コストコホールセールの金沢シーサイド倉庫店に行ってみる。実を言って、コストコに行くのは初めてなのだけれど、徹頭徹尾、ローカライズを拒んだスタイルに感銘を受ける。トイレの什器でさえアメリカ標準なのだけれど、これはTOTOの方が安かろうと思わなくもない。しかし倉庫スタイルこそビジネスモデルの根幹であれば、これはこれで正しいということであろう。

すべてのボリュームに度肝を抜かれ、つねに冷蔵庫の空き容量を心配する必要があるにして、袋詰めのパンも大口径のピザも意外に美味しいのでこれはこれであり。

ザ・ファブル

『ザ・ファブル』を観る。コミックスの世界観を忠実に実写化する大友啓史監督の手法は本邦の映画にある種の成功体験をもたらしたと思うけれど、主演の岡田准一にファブルが憑依したような、江口カン監督による本作もかなり上質のエンタテイメントに仕上がっている。佐藤浩市が演じるボスも、似ていないのにきっちり似せているし、木村文乃も同様。雰囲気は素晴らしく『ザ・ファブル』になっていると言っていいのではないか。どちらかといえば、アクションよりもこの再現性を評価したいと思うのである。そして、安田顕と柳楽優弥の範囲では立派な任侠ものであるストーリーを、ある種のファンタジーを経てリアリティに落とした脚本もなかなかいい。

豚熱

豚コレラをCSFと呼ぶことになったのは、風評被害への対応といいつつ、後手に回った対応を糊塗するためのゴマかしであることが文脈的に明らかな「政治主導」の動きだったわけだが、法律上の名称は横文字を使えないので『豚熱』という呼称を使うことになったという続報にある種の感銘を受けている。

本邦の官僚機構はここまで雑な仕事をする集団に堕して、前提となる当事者能力すら失っているということを、これほどあからさまに示してくれる事例はそうはない。そして豚熱という言葉の中島らも的な不穏さと、いかにも逆効果な印象はどうだ。