倍加曲線をみるとスウェーデンの上り調子には恐ろしいものがある。報道によればSocial Distancingが行われていないわけではなく、症状が悪化しても例えば80歳を越えていればICUに送らないという前提によっていわゆる医療崩壊を招かぬようにするという、そこからしてヨーロッパの多くの国が選ばなかった道を歩んでいるのだけれど、死者数の積み上がりや未だ不明なところが多い予後のダメージの可能性の前に、この方針はどこまで維持できるのだろうか。福祉国家と呼ばれたスウェーデンの選択にこそ冷徹な死生観が色濃いことに慄いている。藤子・F・不二雄の短編SFみたい。
一方、医療リソースの範囲で、治療が必要な患者に集中するという点では日本の進んでいる道も結局のところ似たようなものになっていて、これを日本モデルと呼ぶのならば、現場での対応に丸投げして個々が活路を見出す、または玉砕するという戦術的な対応にその特色があるようだ。
ブラジルまで入れると、世界には感染の拡大そのものに無頓着な国がいくつかあって、封じ込めに投入されるリソースの乖離は日々、拡大している。世界が相互に隔離された現状ではともかく、次第に再開される貿易と人の移動において、ほぼ培養器と変わらぬ状態となった国家の合流は国境システムによって拒絶されると考えるのが普通ではあるまいか。能力不足により感染の規模を推定しうる規模の検定が行われていない国も同様に扱われ、初期対応の成功によってファストトラックを得た国との競争力格差はますます広がるに違いないのである。
いわゆる出口戦略の評価を抜きに各国の施策の優劣を語ることは難しいにして、本邦においては対策会議議長たる総理大臣が現時点で感染確認された人の数を大まかにも答えられない体たらくなので、そもそも入口戦略すらない状態なのである。