「通勤が続けられる限り人の接触の8割削減は無理」という、ほとんど自明の見解を専門家会議が示し、大まかに言えば今さらロックダウンのやり直しが必要という話だけれど、そもそも接触頻度とは何かというところから整然とした定義が共有されていない現状を踏まえれば、議論百出して政治的な決断はウヤムヤになるのではなかろうかと、なんだか何を心配すればいいのかよくわからなくなっている非常事態宣言24日目。
そして言うまでもなく、すでに衆目の一致するところであったことの念押しとして、専門家会議が今後1年以上にわたり新型コロナウイルス感染症に対する持続的な対策が必要と提言するからには、東京オリンピックの来年開催はナンセンスということでよろしいか。この上、追加のコストを計上して準備作業を継続というのは筋の通らない話だが、辺野古の埋め立て作業に300億円以上を投じて往生したり、布マスクに466億円といってみたり、税金をドブに投じることにかけてのみ実績の際立つ政権のことであるからにはやりかねない。
それなりの忖度を発揮してきた専門家会議も西浦教授のいう「倍加時間3.8日」という見立てを踏まえて自粛ベースの活動では立ち行かないという結論に至っていると思うのだけれど、そもそも不顕性の感染者は除くという前提だからマージンは危険側にある話をしているのだ。
SIRモデルを使って感染の封じ込めを論じる限り、結局はほぼ完全なロックダウンを目指さなければならないというのが論理的帰結だとして、これを政策的に実現できていないというのが現在の問題だと捉えなければ、いろいろずるずると延長した挙句、何も達成できないという事態はあり得る。そして非常事態宣言が全国に広がっている以上は国の対応すべき話となっているのだが、この事態に一番、対応できそうにないのが国政であって、もしかしたら当事者としての認識すら希薄である可能性がある。そうこうしているうち、補償を求める声は失望の果て現実論を掲げて経済再開の主張に向かい、最も節操のないポピュリストがこれを先導するに違いない。