引き続き『サーヴァント』を観ている。面白い。
出張のついで、ちょっと時間があったので新宿の周辺を歩いたのだけれど、都心の書店の衰退は目を覆わんばかり。紀伊國屋本店を除くと、雑誌を中心とした売り場が辛うじて残っているという印象で、文化そのものもこのようにドーナツ化するか、いっそ滅びるということであろう。しかしそれがニトリに置き換わるとあっては、何を納得すればよいのかもよくわからない。
引き続き『サーヴァント』を観ている。面白い。
出張のついで、ちょっと時間があったので新宿の周辺を歩いたのだけれど、都心の書店の衰退は目を覆わんばかり。紀伊國屋本店を除くと、雑誌を中心とした売り場が辛うじて残っているという印象で、文化そのものもこのようにドーナツ化するか、いっそ滅びるということであろう。しかしそれがニトリに置き換わるとあっては、何を納得すればよいのかもよくわからない。
『サーヴァント』を観る。Apple TV+のコンテンツもひと渡り眺めてはみたのだけれど、この作品がM=ナイト・シャマランの製作であることにはうかつにも気づかず、素通りしていたのである。
クローズアップの表情やカメラワークが生む独特なリズムには、思わず見入ってしまう不穏さあって、実にシャマラン監督らしい作品になっている。それぞれは短めの尺なのだけれど、とりあえず10話あるのでしばらく楽しめそう。第1話には早速、監督本人が顔を出しているし、いかなる予想をも覆す展開で飽きない。
Podcastの『Rebuild.fm』でコンピュータの2020年問題について触れられていて、Unix開闢の1970年から半世紀の2020年に起きる処理上の問題を話していたのだけれど、関連してClassic Mac OSのFinderも動かなくなるのではないかという言及がされていたのである。
Classic Mac OSといえば筒井康隆が、懐かしのhappy Macを現役運用している写真を少し前に見ていたので、この作家の執筆環境がにわかに心配になったのだけれど、調べてみればMac OS 9では64bit化によって日時処理の2020年問題対応が図られており、A.D. 2108年までの拡張が図られていることを知って胸を撫で下ろす。稀にみる先見の明、ということでよろしいのではないか。
このサイトの名前が、矢作俊彦の『複雑な彼女と単純な場所』からつけられていることからも明らかな通り、エースのジョーは人生におけるご意見番のご意見番みたいな系譜に連なる存在であったわけである。考えてみると、その長大なフィルモグラフィーのほんの一部にしか触れた経験がないにもかかわらず、見知ったような気分でいたものである。
御大のことを考えてみたけれど、その心情が明かされることはあるまいという気がしている。
『ブラックライダー』に引き続いて、その前日譚となる『罪の終わり』を読んでいる。ポストアポカリプスはもちろん好きなのだが、アポカリプスはその上を行く。近代以降、これほど急速に自らの生息環境を破壊しようというホモ・サピエンスであれば、どんなアポカリプスフィクションも無上の説得力があると言わなければならないからには。
東山彰良の『ブラックライダー』を読む。コーマック=マッカーシーの『ザ・ロード』は小説もそれを原作とした映画も好きなのだけれど、同じような世界観を感じる本邦のこの小説をどうしてこれまで見落としていたのか己が不覚を恥じ入るばかり。ポストアポカリプスの物語はだいたい好みに入ってくるのだけれど、それを割り引いてもこれは傑作であろう。西部劇と出エジプトと絶望的に非対称な籠城戦の顛末によってキャラクターが立ち上がり、唐突に失われるこの世界を象る物語の力はどうだ。
『コタキ兄弟と四苦八苦』の第2話を観る。自己紹介の初回を受けて、レンタルおやじの仕事を始める一路と二路。宮藤官九郎が茫洋としたメフィストフェレスという感じで再登場してするのだけれど、同じような組織形態のおっさんレンタル業が実在するのを知って世の中の広さに感じ入る。今回のゲストは岸井ゆきの。実際、何かと豪華なのである。そして物語は不穏な展開を垣間見せつつ次回へ。面白い。