破綻

我ながら、ほとんどコロナウオッチャーというべき日々を過ごしているのでもちろん公衆衛生学会の新型コロナウイルス関連情報特設サイトの資料も確認しているのだけれど、『COVID-19への対策の概念』は、暫定版といいながら今となってはあり得たかもしれないとしか言えぬ「日本独自の対策」の作戦構想書のようにしか読めない。疫学解析と数理モデルは確かに有効なツールではあろうが、政治と官僚の無責任によって檜舞台に無理矢理立たされたような危うさがあり、これは本来、プランBではなかったのか。そしてクラスター対策の理論的主柱というべき西浦先生が早朝にTweetを連投していてリアルタイムで眺めていたのだけれど、その実施を過去形で語っており、それは学者なりの誠実さといえ、つまりそういうことだと思うのである。

冷血

対象となる検体の数が少なかったという驚愕の理由によって都内の患者数は新たに13名。8割の感染者はウイルスを人に伝染させないという臨床的な知見を頼りにした技巧的なクラスター対策はかろうじて機能しているようなのだけれど、政治機能を中心にその他はほとんど仕事をしていないという感が強い本邦のイマココ。都知事はパフォーマンス色の強い記者会見をひらいて「接待中心の飲食店」をスケープゴートにしようかという構えだが、その従業員が手厚い福利厚生に守られているはずもないことをどう考えているのかは本日も示されない。この冷酷さはいったい何なのか。

緊急と銘打った記者会見でやっている感を出そうとしている知事がいる一方、おそらく完全に思考停止している総理大臣は例によって存在感を消しており、この生存戦略には珍しい昆虫の生態を見るかのような驚きがある。

登場人物が好き勝手に振る舞うなかで、日本医師会が緊急事態宣言を要望したというニュースもあって、やはり決壊間近ということなのか。Googleで「4月2日 緊急事態宣言」を検索すると検索結果が出てこないというTweetがあって、集合知というのは果てしなくどうでもいいことを発見するものである。だが、そういえば、4月1日の緊急事態宣言を否定したコメントがあったという報道もあり、この内閣の腐った性根を考えれば、4月2日に何があっても驚かない。

なごり雪

ちょうど昨日、タイヤ交換をしたばかりなのだけれど、夜半から降り始めた雪が昼過ぎまでにかなりの積雪となる。比較的には気温が高いので速やかに溶け始めはするものの、都合15センチほど。だがしかし、今週末も自主的に自宅隔離下にあり窓から雪景色を眺めるばかりなので支障はなし。

不要不急の外出を控えることが要請された東京では、この週末も1日の陽性患者が60名を超えていることが報じられているけれど、検査実施件数として報告されているのが100件そこそこであることを考えると、検査における陽性確率は他県の10倍近くということでよろしいか。

実際のところ、報告されているのは症状のある患者で、これを大幅に上回る数の感染者が発症しつつある時間軸にいるのであろう。そして本邦の政府は、これまでの時間を無為に過ごしてきたことを反省する様子もなく、引き続き自治体に全てを丸投げしているのである。信じ難いのはそのことではなく、その無能ぶりである。

デス・ウィッシュ

『デス・ウィッシュ』を観る。『狼よさらば』のリメイクという触れ込みだが、ブルース=ウィリス主演ながらアマゾン・プライムに来ていなければわざわざ手を出すのも躊躇われるようなB級感が漂っている。シンプルな自警団思想をテーマとしているわりブルース=ウィリスを主役に配しているので、どうしたってオーバーキルの疑念が生じてしまうあたり、言っちゃ悪いがキャスティングの誤りではなかろうか。この男がもともと非暴力主義という設定には説得力がない。『スモーキン・エース』のジョー=カーナハンが脚本なんだけど、概ね予定的に調和する典型的なジャンル映画で、その限りではそこそこの出来。

コタキ兄弟と四苦八苦 十二、愛別離苦

『コタキ兄弟と四苦八苦』の最終話を観る。第十二苦。物語は輪を閉じて第一話に戻り、しかし最後に気の利いたオチがあって唸る。うまい。この四半期は『映像研』と『コタキ兄弟』の3ヶ月として記憶されることになるだろう。

前夜

東京におけるクラスター対応戦略が破綻しつつあることが、いよいよ数字においても明らかになってきているけれど、相変わらずの自粛頼みとフリップボード政治ではエピセンターと化した東京の地獄絵図しか思い描くことができない。比較するとボリス=ジョンソンがまともに見える事態が出来しようとは。「がんばれコロナファイターズ」ステッカーの件に至っては、この国の政治家と行政は競って役に立たない対応の大喜利をやっているのではないかという指摘に同意する。

ライブ変換

配信が始まったiOS13.4を例によって反射的に適用して、MacOSの日本語入力と同じライブ変換機能が実装されていることに感動している。斯界の達人がなんと言おうと、ライブ変換を頑なに愛用して代わりがないことだけが不満だったのだけれど、いよいよiPadでも使えるとなれば2020モデル購入の動機にもなろうというものである。