花見酒

生活のための給付が必要な局面で数ヶ月後にしょぼい商品券の配布という消費刺激策を検討するという政府と政治家のボンクラぶりが話題になっているわけだが、それすら直線で利益誘導につながっているあたり、選挙で政治家を入れ替えなければ変わるはずもない本邦のイマココなのである。

思えばインバウンド経済と称してツーリズムに傾斜し、国を食いものにするための口実としてオリンピックをダシにしてきたのだから、その延期と中止の判断を金勘定でしかできないのも当然だけれど、1年後に事態が収束している保証もないなかで再度、賭け金を積み上げようとしていることには、資源の配分という損得の観点からもっと怒るべきなのだ。空疎な経済幻想に国を挙げて邁進してきた結果、危機への耐性を決定的に欠いた共同体構造を作り出してしまったことには、まずアメリカ、ついで本邦が後悔することになるだろう。

芝浜UFO大戦!

『映像研には手を出すな!』の第12話を観る。ついに最終話ということだけれど原作でいえば3巻、ファーストシーズンでの一区切りということでいいのではないか。というわけで、セカンドシーズンを待つ。本作のキャストは誰も素晴らしいハマり方であったけれど、伊藤沙莉の浅草氏はその筆頭であって、彼女にとっても代表作というべきであろう。

悪女

『悪女』を観る。『殺人の告白』のチョン=ピョンギル監督がスタントマン出身だったとは知らなかったけれど、冒頭、FPSビューの格闘から密度濃くアイディアが詰め込まれたアクションの連続で、こんな画面、どう撮るんだという感嘆もたびたび。スタントとカメラは超絶技巧の域で死人が出ても不思議はないレベルとみえる。

暗殺者として育てられた少女というちょっと懐かしめの設定に加えて、大映映画みたいな外連を感じさせる秘密施設の演出は讃えるほかなく、全体に荒唐無稽なストーリーも確信犯的に練られていると思うのである。このレベルの業界であればアカデミー賞を獲る作品が出てきてもおかしくはないわけで、やはり韓国の映画は大したものではないか。

unprecedented

ニュースは三連休の街中がそろそろ賑わいを取り戻そうか、しかし逡巡している様子を伝えているけれど、こちらは今週末も自主隔離をしつつ、YouTubeにあるヨーロッパのライブカメラが人影のまばらな観光地を映しているのをみて非日常の感覚に震えている。スペインでは1日に300人以上が亡くなったとBBCが伝えていて、もちろん只事にあらず、本邦がクラスター対応戦略だけで乗り切れる気が全くしない。この時間帯の緊張の緩みはまずいのではないか。

コタキ兄弟と四苦八苦 十一、生苦

『コタキ兄弟と四苦八苦』の第11話を観る。一路と二路が本を読んでさっちゃんのことを理解するあたりが、実際この物語の好きなところ。一路は四苦八苦を教える叡智と同じソクラテス的な無知の知の境地に至って、あと一苦。

ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド

『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』を観る。公開時は『彼らは生きていた』という邦題がついていたと思うけれど、”They shall not grow old”の方が内容を示している点で優れた時制であるには違いない。

ピーター=ジャクソンがLondon’s Imperial War Museumで保管されていた第1次世界大戦の西部戦線における600時間の未公開フッテージと200人以上の元兵士へのインタビューをもとに再構成したドキュメンタリーで、モノクロの映像を着色することで、往時を現在に引き寄せることに成功している。AI処理に固有のディテールの不自然さが全体の画面としては成立しているのは興味深い。若者が軍の募集に応えて西部戦線に送られ激戦に身を置いてやがて終戦とともに帰郷するまでを、インタビュー音声を重ねて再構成しており、リマスターされた音声と画面のシンクロもよく練られていて完成度は高い。何より、再処理されているとはいえ基本的には粗い情報を文脈的に再配置することで、群衆が身体と精神を破壊された兵士たちに変容していく過程を克明に伝えることに成功していて、監督の意図は完全に達成されている。

新製品

カメラの更新されたiPad Proが、かねて言われていた通りLiDARスキャナも搭載していたのには驚かなかったけれど、被写界深度を測定することで写真加工の精度がまた上がると考えれば、じきにiPhoneの差別化でも重要な技術になるのだろうし、テクノロジーの進化が窺えてカメラセンサーの数以上のインパクトはあると思うのである。

とはいえ、ついにトラックパッドがついてしまったMagic Keyboardに漂うサードパーティ感はちょっとうまく消化することが出来なくて、法外な値段を措くとしても迷わずSmart Keyboard Folioを選ぶだろうという気がする。

一方、ひっそりと更新されたMac miniは、2年を経て変更点がSSDの増量のみというマイナーチェンジぶりで、実はこのあたりに期するところがあったので、デスクトップラインのコモディティ化ぶりにいまさら打ちひしがれている。