泥縄

いろいろ手遅れな感じになってきている上、仕事にも新型が入り込んできているので世の中のことに関心が低下しているのだが、気づけば非常事態宣言が全国に広がっている9日目。これは一体、何を目指しての騒動なのか。

映像研には手を出すな!

ドラマ版の『映像研には手を出すな!』も一応チェックしていて、キャスティングが原作に近いオーラを出していることには、ちょっと感心している。齋藤飛鳥の浅草氏ばかりはちょっと幼さが先に行って、伊藤沙莉のそれには遠く及ばないにして。映像表現も頑張っているとは思うのである。映画に地続きで繋がっていくようだけれど、学園祭ものとしてキャラクターよりも状況にフォーカスしてくれたらこれを支持したいと思うのである。

東芝が4月20日からの原則休業を発表したほか、テレビ朝日が本社社屋を封鎖して消毒作業を行うといったニュースが流れて、個人だけでなく企業のシステムもギシギシと揺さぶられるように影響を受け始めている非常事態宣言8日目。2週間で感染確認の減少を確認するどころか、飽和した検査数はまったく積み上がらない有様で、いろいろ無理だということが見え始めている。5月の連休がいつまで続くことになるのか、現時点では想像もつかない。

2022

内向であることをよしとする人種の時代がやってきたというのはよいし、もちろん1ヶ月程度の外出自粛で越えられる荒波だとは思ってもいないのだが、もしかしたら1-2年という時間軸を想像しているところに、Social Distancingは2022年まで必要という研究もあると聞けばとりあえず今日は寝ようというくらいの気持ちにはなる。

逃げるは恥だが役に立つ

英国ではボリス=ジョンソンが退院後のメッセージを出してNHSに最大限の感謝を述べている。この災禍の中で評価を変えた指導者をひとり挙げるとすればこの首相で、死の淵を覗いたことで当人の世界観も少し変わったのではないかという印象を受けなくもない。彼の経験がこの後の政治姿勢にどのような影響を与えるか、非常に興味があるのだが、悪いことにはならないのではないかと思うのである。医療現場を知るということにかけてこれ以上の経験はないだろうし、結局のところ個人の教養の厚みがそれを活かすに違いない。

『逃げるは恥だが役に立つ』の第11巻を読む。平匡とみくりの結婚の物語も第一子の出産にて完結。真っ当という他ない理路を辿る会話劇は、しかし独特のリズムを内蔵して読み応えがある。あのドラマのヒットを受けた第二部がどうなるのかとも思ったけれど、結局のところ原作は原作独自の世界観を貫いて完結した感じ。いうまでもなく、これはドラマにするような続編ではないのである。

混乱

非常事態宣言下において多少の混乱は避けがたいところがあると思うけれど、この内閣の経済再生相が休業要請を最小限に留めたいと言うとき、そもそも最小限の損失を衡量すべき時間軸を理解できているか疑わしいと思わざるを得ない5日目。制圧が長引くほどダメージが拡大するという前提が見えているのであれば、そもそも出てこない発想ではないか。

それでなくとも星野源の動画に無様に乗っかった内閣総理大臣のTweetが朝から流れていて、あまりにも酷いので悪意の所在を確認したら当人の公式Twitterアカウントの仕業というのだから、国民は心底反省しなければなるまい。そしてまず、こうした情宣工作の資金はどこから拠出されているのかあきらかにされねばならぬ。いやもう、一体なんなんだ。

飽和

東京の感染確認者数は引き続き最高を更新して197人となったが、民間検査を含む実態は不明の上、この数字自体も検査能力の限界に応じて既に意味をなさない状況とみえる。大阪や福岡といった他の大都市でも感染は急速に拡大している非常事態宣言4日目。状況としてはフランスの1ヶ月前と同じ時間軸にあって、既に医療現場は疲弊し、5月に入った頃には1万人の死者が出ていても不思議ではない。

NHKスペシャルは『瀬戸際の攻防』と題して例のクラスター対策班の取材をしていたけれど「瀬戸際」がもはや修辞として適切でない現実にあって、編集意図に関わらず、クラスター対策が失敗しただけでなく、なぜ戦略そのものを誤ったのかをドキュメントする内容となっている。自らの分析がトートロジーとなっているという自覚なく、そこに「賭けてみる」ことにしてしまった流れには、徹夜はあかん徹夜はと、ちょっと気の毒に思ったことである。

異様なのは、クラスター対策班の統制上のラインが不可視となっており、ことあれば学者たちが戦犯として祭り上げられても不思議ではない語り口であることで、この無責任な構造こそ事態を悪化させたシステムと考えるべきではないのか。

波よ聞いてくれ

歌舞伎町で、むき身の特殊警棒を手にした機動隊員が徘徊し通行人を威嚇している動画が出回っていて、警察が暴力装置であるということを実感する週末。装着しているのがN95マスクで、まるで『ケルベロス』のようだという感慨はともかく、医療機関で逼迫している資材をなぜ警察が使っているのか。この無遠慮さこそ暴力装置たる由縁とはいえ、為政者の優先順位がうっかり覗けている事例には違いない。

Netflixで『波よ聞いてくれ』の第1話を観る。原作のマンガは未読。『チャンネルはそのまま!』が北海道を舞台にした放送局ものを開拓し、これをジャンルとして確立しようかという力強さで、面白い。セリフで駆動する物語が好きである。これは引き続き観るつもり。