宇宙へ

ハヤカワの近刊でメアリ=ロビネット・コワル『宇宙へ』を読んでいる。1952年、アメリカ東海岸を壊滅させた隕石が環境の激変を引き起こし、人類は生き残りをかけて宇宙開発に取り組む。歴史改変テーマのSFとして題材では『フォー・オール・マンカインド』を想起させるけれど開巻から甚大な被害が描かれて、アポカリプスファンとしても満足度が高い。恐るべき温暖化が予測されるロジックについては今のところ十分な説明がなく、エネルギー保存則に照らしてどうなのかという気がしなくもないにして。

『フォー・オール・マンカインド』だけでなく『Hidden Figures』を想起させるセクシズムやレイシズムの文脈もあって、どちらかというと映像的な雰囲気であり、作者の公式ウェブサイトをみると”Lady Astronaut”という(ちょっといかがなものかという)シリーズで三部作くらいになっているみたいなので、ゴリゴリのハードSFではないということには薄々気づいている。まぁ、それぞれの花ありてこそ野は楽し。

太田上田

このところ夕にかけ落雷と雨がたびたびで、夏もそろそろ終わる。

『太田上田』の評判を聞いてYouTubeのダイジェストを覗いてみたのだけれど、尺も短いし、何しろ面白いので止めどころがわからずに延々観ている。こういうフォーマットの地上波連動型のYouTubeコンテンツも観たことがなかったのだけれど、かなり有力な流れになるのではあるまいか。

屍人荘の殺人

KOSSの耳掛け式のヘッドホンKSC75にちょっと興味があったのでこれを買い求める。デザインとしては突き抜けたダサさのあるKOSSだけれど、値段のわり音がいいのも評判の通りでなかなか具合がいい。それにしても、意図してもここまで垢抜けない見た目にするのは容易ではあるまいよ。

『屍人荘の殺人』を観る。荒唐無稽な設定の原作をかなり忠実に映像化して、キャラクターの味付けも結構そのまま。その実、正統のフーダニットであるのも原作通りで、その意味ではよく出来ているのではあるまいか。ちょっと独特のセンスは観るものを選ぶとして。

MIU404 #9 或る一人の死

『MIU404』の第9話を観る。「人を絶望させる場所」は『アンナチュラル』の第2話のイメージに通底して、両者が対となるべき双子の物語であるとの印象はさらに強まる。

ピタゴラスイッチのように分岐していく人生において、どうにもならない状況におかれる可能性は万人にあるとして、誰も気づかない、その絶望に耳を傾けるべきだというメッセージは坂元裕二も6月に放映されたドラマ『スイッチ』に織り込んでいて、共通するスイッチのモチーフはどこから来ているのだろうと思いつつ、当代の人気脚本家たちのこの表明は無論、まかり通る安直な自己責任論に対する憂慮、むしろ嫌悪だろうとみえて共感を表明せざるを得ない。

捏造

東京の新型コロナウイルス感染症の患者集計にICUの数が含まれていない問題は、それが途中から除外されるようになったという一点で弁解の余地なく、「戦線から遠のくと楽観主義が現実に取って代わる。そして、最高意思決定の段階では現実なるものはしばしば存在しない」という名セリフを想起せざるを得ない。続く「戦争に負けている時は特にそうだ」まであわせて。

この体たらくは戦前からの本邦の体質ではあるものの、社会科学まで含めた科学的思考の涵養に対する投資の出し渋りこそ、この衰退国家に引導を渡すことになるに違いあるまい。

自家撞着

さきにChroniumベースのブラウザであるBraveを入れてしばらく使っていたことがあり、広告の遮断は大層、快適だと思ったのだけれど、ほどなく環境を入れ替えてしまったので以降、同じChroniumのEdgeを使っていたのである。これはこれで使い勝手がいいし、アプリは出来るだけ厳選して入れたい性質である。

それはそうとして最近、このBraveの広告が結構、表示されるようになったと感じており、広告を遮断するのがウリのブラウザが追跡型広告でこれを宣伝するという発想を消化できずにいる。

Bear

朝からRed Bullを飲んでなけなしの燃料に点火を試みる。Red Bullに興味をもつあたりは、明らかにRebuild.fmから悪しき影響を受けているわけだが、こちらは駅のスタンドでオロナミンCを買って飲むサラリーマンという伝統を引き受けようというものである。

金融界にはBull/Bearと相場の状態を示す言葉があり、前者は牛が角を突き上げるような上りの相場、後者は熊が上から手を振り下ろすイメージで下りの相場の意味なのだけれど、いずれも攻撃モードであるところにアングロサクソン金融の深い闇が窺え、いろいろ勝てる気がしない。