『EXIT』を観る。2019年の韓国映画。空気より重い性質をもつ毒ガスを使ってテロが起き、それから逃れるためにビルの上層階を目指すというパニックアクション。何ステージかのミッションがあるという説明の他は不要というくらいシンプルなストーリーで、尺も100分というところだから、あまり考えるところもなく観られる。韓国映画の常として、それなりに練られた展開で飽きない。それほど真剣に見入らなくても自然と手に汗が出ていたのだけれど、そういえばこちらは高所恐怖症なのである。
Month: August 2020
蜜蜂と遠雷
『蜜蜂と遠雷』を観る。恩田陸の小説を原作とした2019年の映画だけれど、石川慶監督による脚本は、原作とはだいぶ異なる意図で登場人物を描いており、一方、主演の松岡茉優は役者としての自身の天才性をもって主人公の天才を解釈して見応えがある。分厚いバックグランドが書き込まれている小説とは全く異なるストイックなアプローチでキャラクターを際立たせている脚本の出来はいい。もとより尺の限られた映画であれば、この絞り込みは戦略的でよく機能している。
コンサートホールそのものの構造が物語に取り込まれているのも面白くて、クライマックスでタルコフスキーの『ストーカー』みたいな心象風景が出てくる演出もキレがあるし、役者もいいとして、監督の仕事ぶりはなかなかのものではあるまいか。もちろん小説も面白いのだけれど、映画はまた別ものとして面白い。
ゴーストマスター
『ゴーストマスター』を観る。『スペースバンパイア』を熱く語る助監督の書いた脚本が、現場の鬱屈の果て、魔導の書となって悪霊を呼び寄せる。VFXは邦画伝統のクオリティで、映画の撮影現場を題材にした映画ということでは『カメラを止めるな!』を想起してしまうのだけれど、こちらは真正のB級ホラーで撮影もキャストも微妙にメジャーがかっている。成海璃子のアクションがちょっと目新しいとして、とはいえ結局のところ話は『スペースバンパイア』っぽいところに行き着くのも『スペースバンパイア』的。ううむ。
1985年当時、件の映画は劇場で観た記憶があるけれど、確かにあのラストシーンを憶えてはいて、しかし35年を経てオマージュを寄せようという映画好きの業の深さには感じ入ったものである。
ステージ2の世界
我が国の感染症対策では完全に後景化した専門家の意見は、いまさら感染拡大の状況を再定義して現在地を4のうちのステージ2であるという。緊急事態措置の解除の目安を、直近1週間の累積新規感染者数が10万人あたり0.5人以下といっていたのは当年5月のことだが、この先のステージ3で10万人あたり15人から25人の感染者というのは、だいたい同じ見当の数字のことを言っているらしい。いやはや。
加えて、現時点では検査数の関数となってしまっている陽性率を目安におくに至り、分科会そのものが結局のところ判断停止を正当化するためだけに利用されるのではないかという懸念は現実のものとなった。
『MIU404』の第7話を観る。終局に向けて立ち位置を確認するような回で、やはり面白いのだが、屋外シーンにテントが用意されていたり高架下だったりするあたり、スケジュールのきつい状況で天候不順が続いた7月における制作進行の苦労が忍ばれる。
STRAY SHEEP
広島原爆の日。核兵器禁止条約に反対票を投じ、もちろん批准に応じない被爆国の首相が、祈念式典に出席できるというだけでもその無神経さに慄然とするが平然と空語を述べるので、やはりこ奴はある種のサイコパスであるに違いない。いや、わかっていたことだが。
『STRAY SHEEP』を聴いている。さきにApple Musicで米津玄師のページができていたのでサブスク解禁は疑っていなかったのだけれど、ハチ名義の楽曲も対象となっていて楽しみが多い。
アンナチュラル
Prime Videoの8月のラインナップ充実に圧倒されつつ、このところ『アンナチュラル』を第1話から見直している。これまで6話。もちろん、あの場面この場面は記憶に残っているにして、名作は再読に耐える。
夏の盛りに向けCOVID-19の新規感染確認増加は衰えを知らず、政府はGO TO利権構造を維持したまま、曖昧な自粛の空気を醸成してこれを乗り切ろうとしているか、その実、全く思考停止かというところだけれど、無論のこと、お上が曖昧であれば曖昧に振る舞うのが筋金の入った日本の空気というものなので、感染は引き続き拡大するに違いない。もともと勢いが弱まると期待されていたこの季節にこの状況では、冬に向けてそろそろ暗澹たる予想を立てるべきなのではないか。
チャーリーズ・エンジェル
『チャーリーズ・エンジェル』を観る。2019年のリメイク版で、自身が出演もしているエリザベス=バンクスが監督を務めている。冒頭の立ち回りから悪者は生け捕りにされ、全編を通して殺される人間は最小限という雰囲気があるのだけれど、このあたりが2020年の正しいエンジェル像と言われれば微妙な違和感を感じざるを得ない。結局のところハイヒールで走らされた挙げ句、アリバイのようにスニーカーが差し出されるのがエンジェル達の扱いであれば、2000年の映画から変わっているところはあまりなく、そもそもその正系として作られているのがこの映画なのである。