このところの韓流の波において、韓国の役者を識別する能力が著しく高まっているわけだが、だいたい日本の役者にも似たひとがいて、両群における多様性の相似に感心している。まず、人類皆兄弟ということでよろしいのではないだろうか。
Month: September 2020
星屑の町
当地でも相当の人出となっているみたいだけれど、シルバーウィークの人出は昨年を上回ったなどと言われると、国ごとCOVID-19の毒が回っての狂騒にあるのではあるまいか。
『星屑の町』を観る。同名の舞台劇に、ヒロインとしてのんを迎えた映画化。舞台の雰囲気を残しつつ、舞台装置としての東北の田舎町を十分に活かした映像化で、何よりやっぱり、のんがいい。昭和ムード歌謡の強烈な磁場のなかに埋没していない、その歌声はもうね、泣ける。今や完全復活となった彼女を、このベテラン勢が後押ししていると雰囲気があって、もうそれだけで感謝の念が湧き上がるというものである。ありがたや。
踏破
そしてほとんど2日かけて『この恋は初めてだから』全16話を観る。韓国ドラマでは最終3話くらいで拉致監禁の騒動になるのが常道だとして、物語の序盤で脚本家見習いの主人公がステレオタイプのストーリーを否定してみせた本作だけあって、きちんとハッピーエンドに落ちるとしても、もちろんそんな展開にはならない。いや、そもそもジャンルとしてはロマンスであるからには。
だがしかし、最終話手前を延々、引き伸ばされた別離で構成しようというのはどうなのか。第16話開始30分そこそこで再会という運びであれば尚更。ずいぶんと冗長な話にしたものである。とはいえ、社会の旧弊を生真面目に論じようというあたりは嫌いじゃなくて、まず楽しめたというべきであろう。
この恋は初めてだから
連休二日目。Netflixで『この恋は初めてだから』を観始めて第4話を終えようとしている。例によって、まんまとハマっている。2017年の韓国ドラマ。タイミングからして、どうやら『逃げ恥』の影響を受けており、しかしそれなりに消化された物語なので、まず普通に面白い。例によって60分越えの16話シリーズで、何しろ『逃げ恥』なら第1話で辿り着く地点に到着するのが第3話の終わり。恐るべき時間消費マシンではあるのだが、この連休を投じようかという気持ちになっている。
ザ・ピーナッツバター・ファルコン
『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』を観る。シャイア=ラブーフもいつのまにか30半ばとなって、無精髭の無軌道な男を演じ貫禄すら漂わせている。ダウン症の青年ザックが、押し込められていた州の高齢者施設を抜け出して、シャイア=ラブーフの演じる男タイラーとジョージアからフロリダにかけての低湿地と河を下る旅に出る話。
マーク=トウェイン的な舞台装置のロードムービーというだけで我が内なる郷愁を掻き立てるというものだが、何かを失って、周囲からは下に見られている者たちが、心を通わせ復権していく物語であればいつしか深く頷きながら観ている。自身もダウン症で劇中、ザックを演じるザック=ゴットセイゲンの演技は的確で、こちらも素晴らしい。冒頭近く、プロレスラーを夢見るザックが、行きがかりからブリーフだけで施設を飛び出すのは無論、レスラーのコスチュームになぞらえた多重の意味があり、さらには盲目の黒人の男から川での洗礼を受けるシーンもあったりして、丁寧に再生の手続きを踏む脚本もよく出来ている。傑作であろう。
iPadOS 14
パブリックベータの出来がかなりイマイチだったので、iPadOS 14の導入には躊躇もあったのだが、どのみち入れることになるのだからとアップデートを決行する。さすがにベータで気になったようなところは解消されているのではないかと期待していたのだけれど、不具合がほぼそのまま残っているので驚いている。
ハードウェアキーボードをつけるとライブ変換ができるようになっているのだけれど、今どき珍しいレベルで変換のクオリティが悪く、辞書は欠落レベルで単語が足りていない。何年か一度、惨劇というべきアップデートがあるけれど、今年はその年みたい。
犬鳴村
『犬鳴村』を観る。九州の実在の地名にインスパイアされたという清水崇監督の映画。都市伝説ものっぽい冒頭はやがて土地の因縁を交えた話に繋がって、ジャンル映画としての記号を漏れなく拾いつつ転がっていく。あまりこだわりなく時空を自在に往還する強引なストーリーで、趣向にバラエティもあるので深く考えずに観られる。