カネ恋

『おカネの切れ目が恋のはじまり』の第1話をTVerで観る。経理女子としては一方の雄というべき多部未華子と渡り合っているではないか、松岡茉優。いや、その唇の演技には感銘すら受けたものである。そして「越後屋!」だ。

三浦春馬の逝去によって第4話までの放送という話ではあるけれど、もちろん彼も含めてなかなか楽しい雰囲気で、しかし奥行きと機微もあって、やはり残念というほかない。

ホモ・デウス

Podcastとオーディオブックは車通勤者の神器というわけで、たまにオーディオブックを聴きたくなることがあり、しかしコンテンツラインナップも盤石というわけではないので、解約しては再加入ということを繰り返している。サービスは勝手を知っているAudibleを使うのだけれど、再加入なのに初月無料という扱いになっていて、何だか申し訳ない。

今はハラリの『ホモ・デウス』を1.6倍速くらいで聴いているのだけれど、人類史のスケールでは飢饉・疫病・戦争を克服した段階にあるという論考にはさすがに綻びを感じている。疫学的対応のスピードはウイルスの進化を上回るという原理的な一点において、長期的利益の視点が短期的利益の追求を制することができればという留保条件がつくということを我々は思い知っているからには。

部屋の中の象

おおかたの国が民主主義の陥穽に落ち込んだのと同様、ならず者が国から簒奪を行うために政治が機能するようになったのは新自由主義の台頭と双頭の事象といえるのだろうが、特に本邦においては、原発事故への対応を最初から最後まで間違えて、あらゆる層に毒が回っていることが大きいのだろうと考えている。およそ関連ないように見えて、10年経とうが、この問題に取り組み直して解決の方向を示す器量がなければ、利益調整の機関としての国政は正常化しないであろう。

サイコだけど大丈夫

このところNetflixのおすすめに出てくるのは韓国ドラマが大勢を占めるようになっており、『梨泰院クラス』に入れ込んだ代償としてのエコーチェンバーのなかに塗り込められている。基本的に1話1時間を超える16回構成ということであれば簡単に着手するわけにいかないし、そもそも興味をひく作品も多くないのだけれど、『サイコだけど大丈夫』は少し変わった世界観があるようなので少し観てみようかという気分になっている。どうなんだろ。

ラブ・ギャランティード

『ラブ・ギャランティード』を観る。マッチングサイトが100%保証をうたっているのは虚偽広告だという男の依頼を引き受けた弁護士が主人公のロマンス。想定の視聴者はおそらく40代を越えていようかというストーリーで、懐かしのティファニーの音楽が使われたりする典型的なジャンル映画。米国ならありそうな訴訟沙汰を題材に、法廷侮辱罪に問われようかという展開で、まぁ、どうでもいいといえばどうでもいい感じ。

アイネクライネナハトムジーク

『アイネクライネナハトムジーク』を観る。伊坂幸太郎の小説の映画化といえば中村義洋監督というアタマがあったけれど、今回は今泉力哉監督作品。この映像化もまた伊坂幸太郎の語り口を感じさせ、なかなか悪くない。

群像劇という感じもあるにして、三浦春馬と彼と幾度めかの共演になる多部未華子のドラマが主軸にあるラブストーリーで、しかしこの三浦春馬はちっともキラキラしておらず、そこがいい。平凡としかいいようない小さな人生に10年越し、さまざまにあらわれるサインの反復と呼応が物語を象るのだけれど、説得力を与えているのはその存在感だと思うのである。

VS.

Podcastを逍遥していて『梨泰院クラス』の話題を話している番組に行き当たったのだけれど、男女のこの会話で話しを振った男が内容うろ覚えの上、イソ対スアという枠組みでは男はみんなスア派とかいう妄言を吐いていて、お前はいったい何を観ていたのかと。テクノロジーは万人が手にすることができるが、結局のところ、クオリティの問題はついて回るというわけである。まったく。