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このところ日本語のPodcastをいろいろと物色しているのだけれど、本邦にもこれほどの数の配信があるのかということを今さら発見して感じ入っている。音声だけとなれば制作にも手軽さがあるとして、しかし音質がまともと聞こえる番組が意外に少ないのはどうしてか。まず頑張らなければならないのは、たぶんそこなのだ。

#生きている

Netflixで『#生きている』を観る。類型としてはゾンビ映画であり、ロメロ型ではなく、今風のスピードタイプの感染者の大群が徘徊する団地での籠城という筋書きで、典型的なジャンル映画といえるけれど、ゲーム配信者の主人公が3週間以上を立て籠もる孤独なサバイバルという今風の設定で、98分のコンパクトな尺にいろんな趣向が盛り込まれているので退屈しない。感染者の造形も気合の入ったもので、手を抜いた感じがないのは大したものだと思うのである。面白い。

ステイホームしつつ、外の感染者をやり過ごすという話だから、この時勢にはちょっと異なる文脈も立ち上がってきてしまうというものだけれど、その奥行きが意図したものなのか気になるといえば気になる。

ダイバーシティ

このところテキストの作成はRoam Researchを中心に回っていて、これまで偏愛していたUlyssesも8月をもって退役としたので、プライベートでのコンピューティングの環境には大きな変化が生じている。それどころか、WebアプリであればChromiumのほうが快適というわけでブラウザはEdgeとなり、Windowsのデスクトップが作業の中心になっているので、敬虔なApple信者という感じですらない。

このところ相次いだストア税をめぐる諍いは確実に影響していて、さすがにAppleも大きくなり過ぎ、多様性をサポートする気分になっている。

末期

いろいろ忙しかった上、『梨泰院クラス』の余韻に浸っていたこともあって現実世界のよもやま、ことに茶番としかみえない政治の話への関心は急速に低下していたのだけれど、見下げ果てるほかないマスメディアが次期首相ともてはやす菅義偉が『自助・共助・公助』をどうやら公式の旗印にしているらしいと知って暗澹たる気分になる。

その思想的近接をもって維新勢力はいよいよ自民党に近づき、公明に加え維新を補完勢力とすることでアベ的なものはいよいよ自らの恣に社会の礎を喰いものとするに違いないのである。いうまでもなく、異様な貧富の格差はますます拡大し国は貪られるだろう。

長沙里9.15

『長沙里9.15』を観る。仁川上陸作戦前夜、陽動として展開された長沙里(チャンサリ)上陸作戦に、ほとんど訓練も受けぬまま投入された学生たちが上陸用舟艇も満足に配備されない状態で戦火にさらされる。

このあたりの時間軸を描いた韓国映画では素材となった悲惨な戦闘自体、知らないことが多いので、映画的な脚色は多くあるとしても啓蒙的な意味は大きい。北朝鮮が泣き別れの同族であり、非情なのはむしろ友軍やアメリカだったりする文脈も近年では揺るがぬところである。反戦のメッセージをきちんと訴求できる社会が、そうでない社会よりも健全なのは間違いない。

MIU404 #11

『MIU404』の最終話を観る。COVID-19のない世界では放映が4月に開始されオリンピック直前の6月に最終話となるはずだったこのドラマの出自を踏まえれば、あり得なかったはずの結末に帰着したドラマ制作のライブ感に面食らったわけだけれど、2019年の物語であることを繰り返し説明し、現実の陰影によって象られてきたこの物語なら当然のようにパンデミックを取り込むであろうという感想もまた。

クライマックスの屋形船と、物語となることを拒む犯人には帆場暎一を思い出したけれど、その結末がゼロである。ついに生まれることのなかった最終話を観てみたいという気持ちもあるにして、モチーフ自体は変わらぬに違いない。

全16話

『梨泰院クラス』全16話を完走する。本邦のドラマに比較すると1話あたりの尺も少し長い韓流のドラマシリーズを一気という感じで観たのは初めてじゃないかと思うのだが、これにハマる諸氏の気持ちがようやくわかったようである。面白い。

パク=ソジュンはパク=セロイのいがぐり頭が全てを持っていくとして、チョ=イソことキム=ダミは『魔女』よりもさらに個性的な役回りで心に残り、全体としては終盤のやけに長いモノローグすらほとんど気にならなかったものである。この達成感は危険。