引き続きRoam Researchを使っている。フローのメモをDaily notesに入れて、ページでテーマを深掘りするワークフローは、己の内なるシステム1とシステム2の働きにそれぞれフィットして馴染む。しかし、Graphのかたちはイマイチ美しくなくて、デジタルガーデニングにおいてもまだまだ精進が足りないと自覚している。
Month: October 2020
ユ・ヨルの音楽アルバム
『ユ・ヨルの音楽アルバム』を観る。『トッケビ』のキム=ゴウンをヒロインとしたすれ違いの10年の物語。最低限の説明で機微を描く立ち上がりの雰囲気はすごくいいのだけれど、寡黙が過ぎて大きな事件があるわけでもない後半の展開を畳みきれなかったきらいがある。陳腐な感じのラストもイマイチ。一方、1994年から2000年代半ばにかけての舞台装置は結構、手が込んでいて、ガジェットの使い方も悪くない。しかし、タイトルのユ・ヨルはほとんど本編に関係ないとなれば、フィーチャーし過ぎではないか。
焼き場に立つ少年を探して
NHK+で『焼き場に立つ少年を探して』を観る。アメリカ軍の従軍写真家ジョー=オダネルが撮ったこの写真が何処で撮られたのか、当人の足跡と写真そのものの解析から大まかな日時と場所を絞り込んでいく取材番組で、同じ時代に生きた人の証言も交えることで、振り返ることもなく歴史の向こうに姿を消した少年がそうであったかもしれないその後の運命を立体的に見せている。
写真の解析から、少年が急性放射線症の症状を呈していたらしいことを示すのだが、このあたりはさすがNHKと思わせるし、アナログ写真のもつ膨大な情報量に感嘆したものである。佳作。
不在
『おカネの切れ目が恋のはじまり』の最終話を観る。松岡茉優がほぼ全ての尺を引き受けての拡大版は、不在の三浦春馬についての夏の終わりの物語であり、女優の強い思い入れなしには成立しない仕掛けであって印象に残る。
鎌倉から伊豆と、汀の彷徨から黄昏時に至る全編のイメージは喪失感を自然と積み上げていくもので、結末の主演女優の笑顔でそれを自覚した向きも多かったに違いないのである。
ルイセンコの時代
権力者が伝染性の病をおして徘徊し人々を感染させるというプロットがどのようなジャンルに分類されるかといえば、シリアスで重厚な物語ではあり得ず、茶番にしかならないはずである。我々はそのような現実に生きている。
遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ、危険なものは既得権益ではなく思想である、とケインズは言った。日本学術会議をめぐる問題については、さまざまなデマ妄言が飛び交っているけれど、結局のところ、本邦謹製のルイセンコを生み出そうというのが政府のやっていることであれば、もちろん未来のためにこれを否定していかなければならない。
欺瞞説
根が素直な人間なので、トランプのCOVID-19感染についてはその愚かさと、機能しているように見えない最強国家の危機管理能力の実相に驚くばかりだったのだけれど、マイケル=ムーアが今回事案はトランプによる欺瞞であるという説を展開していると知って虚を突かれる。
つまり、感染からの復活劇を演じることで大統領選挙における集票を企んでいるという話なのだが、プロレス紛いの馬鹿らしい芝居にのる人間がいるのかと思えば、それがトランプである以上、かえって真実味があるというものである。だいたい、本邦における首相の交代劇からして、全てをうやむやにするための仮病という観測があるくらいだから、狂人の考えることは時に想像を超え、何があってもおかしくないという気分になっている。
一方、トランプが投与されたというステロイド薬のデキサメタゾンは高揚感を含む精神の変調をもたらすことがあるので職務復帰は慎重であるべきという医師の記事もあったりして、戦争を引き起こしかねないというコメントが地味に怖い。
百戒
感染拡大への対応を放棄した政権で集団感染が起きたところで、あまり不思議はなく、してみると本邦で国会クラスターが発生したとしてもおかしくないと思いながらトランプ入院の経過をみている。典型的な症状を呈しているという話だから回復に向けたシナリオは幅広に可能性が考えられ、仮に2期目を務めることになったとしてその体力が残るかも疑わしいと思うのである。郵便投票をめぐる混乱を理由に居直るのではないかという予想まであったけれど、状況は大きく動いているのではないか。
マスクをはじめとする感染予防策に積極的でない集団の、状況下における脆弱性があからさまに可視化されたかたちとなったのも興味深い。結局のところ感染拡大の防止に必要なのは、トランプがこれまで否定してきた個人レベルの予防策であることが確認されたこの啓蒙効果が、トランプの唯一のレガシーということになるかもしれない。