『今ここにある危機と僕の好感度について』の最終話を観る。中身がありそうでない男を演じる松坂桃李の演技は、既に名人芸の域にある。松重豊の三芳総長は、大学は営利企業ではないと断じて、この風刺色の濃いドラマが社会共通資本、ひいては国そのものを射程に入れた物語であることを明らかにする。
野木亜紀子の脚本がそうであるように、リアルにつながる文脈をもとうとする優れたドラマは、時に現実を引き寄せることがある。「準備に4年」をかけたイベントの開催可否をめぐる騒動の渦中でのコウスケ君の怒りは、オリンピックを睨む今ここの気分にシンクロして現下のこの社会を指弾する。
でも、そのためには何人かは犠牲になってもいいってことなんですか? クソじゃないすか? そんな社会
そして三芳総長は、新自由主義やそれに寄生する競争論者の戦略が間違っているという。
確かに競争は熾烈です。しかしだからこそ、我々がこのまま生き残っていけるとは、私にはどうしても思えないのです。なぜならば我々は、腐っているからです。
結局のところ、競争に勝つことを題目として効率を主張し、何なら弱者を切り捨てることを厭わない政治的主張は、実態として腐敗しているがゆえに解決策たり得ない。
みなさんもうお気づきでしょう。我々は組織として腐敗しきっています。不都合な事実を隠蔽し、虚偽でその場をしのぎ、それを黙認しあう。何より深刻なのはそんなことを繰り返すうちに、我々はお互いを信じあうことも敬いあうこともできなくなっていることです。
そのシンプルな事実を指摘して、しかし意見の対立する須田理事を解任しない結末こそ、舞台となっている大学組織が、国家の隠喩であることを示している。その同じ船に乗り合わせた以上は、折り合いをつけてやっていく他はないのだ。