時間は存在しない

カルロ=ロヴェッリの『時間は存在しない』を読む。ループ量子重力理論の提唱者のひとりである筆者が、超弦理論と双璧をなすループ量子重力理論の眼目のひとつでもある時空とは何かということについて非常にわかりやすく語っている。一方の超弦理論がそれを所与としていることに比較すると、一頭地抜けているという印象があるけれど、その優劣はもちろん凡人の理解するところではない。文中、量子重力理論において超弦理論と競っているという点には言及があって、その決着は遠からずつくのではないかと述べているあたりに自信が垣間見えると思うばかりである。

無論のこと内容は高度に抽象的ではあるのだけれど、ループ量子重力理論が時間を特権的な変数として扱わずに世界を記述するものだということは理解できるし、その言おうとしているところも何となく感じられる書き振りで、しかし数式はエントロピーを記述するのみと徹底的に排除されているあたり、科学啓蒙書としては恐ろしく優れていると思うのである。人類はここまで来たとさえ。そして、世界の成り立ちを考える体系であればこそ、人とは何か自己とは何なのかということを深く考えずにはおかないのだということもよくわかる。

プロスペクト理論がそうであるように、コペルニクス的な展開をもたらすほどの理論というものは、人間そのものを再定義してしまうようなところがあって、それは拒否反応すら呼び起こしかねないものではあるけれど、筆者はそのケアにもページを費やしていて何だか慰められたような気分になる。存在はものとしてあるのではなく、関係性にあるというのは、仏教なら因果と縁というものであって、世界を説明する言葉があらかじめ用意されていることには驚くばかりである。