独ソ戦

長崎原爆の日。この日のハイライトは慰霊式典に出席した本邦の首相が式辞を「用意された原稿通りに読み終えました」と時事が伝えたあたりか。今回の中継では予定稿によるテロップも出されなかったという話で、もちろん読み間違いを指摘されないためだから、その能力の低さばかりでなく、姑息な影響力の発揮をみても総理大臣の器ではないのである。

岩波新書で大木毅『独ソ戦』を読み始める。近年の研究をもとにした書き振りが好ましく、これまでの定説を批判的に説明してくれるので勉強になる。「絶滅戦争の惨禍」という副題が著者の射程を語っているのだが、スターリングランド攻防戦の地理的イメージをセットするところから始まる説明は大変わかりやすい。

スターリンがドイツの侵攻意図について明らかな情報を得ていながら、自らの粛清によって弱体化した自軍の事情ゆえ、これを真正と認めなかったくだりは、このたびの感染拡大における政府の現実否認に通底する心理で、歴史は繰り返すという月並みな感想を抱いたものである。そしてこれを喜劇というには、付帯的被害が大き過ぎる。