擬態

報道ステーションはもう10年以上、みたことがないと思うけれど、Web広告で炎上した挙句の謝罪まで実はnon apologyという筋金入りに変貌しており、今回の経緯からして看板の中身は今や全く入れ替わっているのであろう。それは『光る眼』的な。電通オヤジの精神性がCM女優の外見を乗っ取っているというところも侵略もののテーゼが通底していて、これがSFの批判性というものだろう。

陽気もよくなって、春休みの人出がこの地でも体感できるようになってきたのだが、言うまでもなくパンデミックの最中にあって感染確認は再び拡大しており、この調子では聖火は疫病の使者のように全国を回ることになるだろう。

退潮

自民の退潮はさすがに自業自得として、これによって維新が台頭するという地獄のような状況が現出している。所詮、千葉の民度であると、御大なら言ってのけただろうが、津々浦々、千葉化しているのが令和日本の状況なのである。

『ヴィンチェンツォ』の第10話を観る。珍しく1シーズン20話構成のドラマのちょうど折り返し、物語は絶妙なヒキで予告を省略して次回に続く。このところ住民たちの異能も次々と明らかになって、いささか長いけどますます面白い。

洗練

ひと時遠ざかっていたことはあるとして最近、またUlyssesを使っている。サブスクリプション形態に移行してからも定期的にアップデートがあって、バージョンナンバーも22を数えるくらいに成熟しているのだけれど、もう変えるところもないだろうというミニマルなインターフェースでも微妙に刷新を図っているのは立派なものだと思うのである。

このたびはMarkdownの記述に合わせてフォントの大きさをWYSIWYGで表示してくれる仕様に変更されていて、えー、という気分になっている。こういう変化に従うほかないのもサブスクというものである。

ザ・ディスカバリー

『ザ・ディスカバリー』を観る。死後の世界の存在を証明したという科学者をロバート=レッドフォードが演じている。善悪の基準が人とは少し異なる男を演じた時の、少し怖いような雰囲気には一流のものがあって、カルトの教祖のような役回りが茶番になっていない。少し難しい世界観に立ち入っていく脚本は収拾がついているとは言い難いところもあるのだけれど、このあたりの説得力もあって雰囲気は悪くない。舞台となっているロードアイランドのうら寂しい風情もいい。

直下

18時過ぎに宮城県沖で起きた地震はマグニチュード7.2の速報値から6.9に修正されて、結果としては大きな被害を生じることはなかったけれど、深さ59kmの震源は地図でみると停止中の女川原子力発電所のごく近くで、原発はほとんど直上にあるとみえ、付近では以降も震度1以上の地震が続いている。

もとより、どんな海岸であれ震源近くになる本邦のことであれば何も不思議はないのだが、その条件下で原発が建設され、311後にさえ運転を再開する国であれば、コロナの拡大も厭わずオリンピックという話にもなるのである。もうね。

パラサイト

『パラサイト 半地下の家族』を観る。いうまでもなく一級の映画で、よく設計された画面が終始心地よい。相変わらず、高く評価されている作品を見逃したままにしておく症候群にあって、この心理にももっともな機序があるような気がする。

この機を逃すと解除ができなるかもしれないという驚愕の理由で緊急事態宣言が解除される。4月にはGOTO再開という観測気球も上がっているわけだが、正気を疑う前、感染拡大は容赦なく再び指数関数的にすすむだろう。

コンジアム

『コンジアム』を観る。POVフォーマットのホラー映画のシチュエーションもあらかた出尽くした感じがあるけれど、YouTuberが心霊スポットで生中継をしようというプロットにはやや目新しさがあってつい観てしまう。サービス精神の旺盛な韓国映画のことなので、ファウンドフッテージものにありがちな奥ゆかしさはなく、『REC』か、本邦なら白石晃士かという世界観で行き止まりまで描かれるし、きちんと怖い。その起源は恐怖に歪む役者の顔にあって、中継用にセットされたアクションカメラがこれを撮り続けるという趣向の勝利であろう。やだやだ。