隔たる世界の2人

Netflixで『隔たる世界の2人』を観る。今年のアカデミー賞で短編実写映画賞を受賞した本作は、30分足らずの作品だけれど、黒人の主人公が白人警官に殺され続けるループにハマってしまうタイムループものの体裁を借りて、システミックレイシズムの構造を重ねたメッセージ性の強い内容をもっている。ジョージ=フロイドさん殺害事件を画面のなかで直接に引用している部分もあるし、結末には警官と行き合ったばかりに殺されてしまった人たちの(ごく一部の)名前が挙げられているので誤読のしようもないのだが、アンドリュー=ハワード演じる白人警官が主人公を絞め殺す場面の、現実がそうであったろう悪魔的な形相には震える。もう一段の底が用意された物語の仕掛けは仕掛けとして、構造的な絶望感こそ一番の見どころではあるのだが。

さきに5,000万回分を超える日本向けのCOVID-19ワクチンがEUによって輸出承認済みだとブルームバーグが報じた件について、この内容を正しいとした上で、日本での接種の遅れに不満が高まっているという続報が出ている。ロジスティクス軽視という旧軍以来の伝統に則り、下手をすると賞味期限内に在庫のワクチンを打つことができないという笑えない事態にもなりかねない。何しろ鳴り物入りの東京の大規模会場では1日1万人に接種を行う構想だそうだが、23区内の人口だけでも900万人を超えるのである。いうまでもなく。

ここにきて泥縄式に体制を作ろうとしているのが本邦の状況だが、ワクチン開発が始まって1年、その到来を待つ間に何をしていたのかと考えれば、悪夢のような無能と言っても不当な評価とはならないのではあるまいか。

新感染半島 ファイナル・ステージ

『부산행』を「釜山行き」でも「Train to Busan」でもなく、『新感染』というタイトルにしたときには、まさか続編が出るとは思っていなかったのだろうが、『新感染半島 ファイナル・ステージ』とよくわからないスケールアップを果たした『Peninsula』を観る。

たった1日で国家の機能を喪いゾンビの支配する地となった韓国に、かつて逃げ延びた男が戻って因縁めいた再会によってある家族を助けることになる。光と音に敏感で群がってくる今風のゾンビは、しかしちょっと後景化して、ゾンビより怖いのは人間というよくある話になっている。それはまぁ、いいとして、軍隊崩れの徒党の組み方に工夫が見えないのはどうなのか。『AKIRA』のエピゴーネンの域を出ていないようなのは、ちょっと残念。

覚悟

オリンピックを無観客でもやる覚悟という勇ましいようで意味のわからない言辞にいよいよ絶望感が深まるGW前夜、局地的に出された緊急事態宣言の結果として観光地である当地にもそこそこの人の流入があり、ちょっとまずいのではないかという気になっている。昨年の今頃、まだ変異株と呼ばれる感染力の強いウイルスがなかったときに、人流を8割減らさなければならないと言っていた状況よりもだいぶ「緩んで」いるようなのだが、これで実効再生産数が1を下回るようになるとはとても思えない。むしろ当然のように各地に拡散して次のステージに繰り上がるとしか思えず、杞憂と言える材料が見当たらない。

4,960万回

NETFLIXの『ヴィンチェンツォ』は、いよいよラスト2話を残すばかり。たいてい16話のところ異例の20話構成で、先週はおそらく本国の国内事情で配信がなかったわけだが、結末に向けてヒキは十分という感じ。無論のことヒーローと仲間たちの完勝という展開に違いないのだが、1話の昏睡強盗の顛末が回収されるのかとか、この長丁場の結末がどうなるか、次週刮目して待て。

COVID-19のワクチン接種が遅れに遅れている状況で、ブルームバーグがEUは1月31日から4月19日にかけて日本へ5,230万回分のワクチンを輸出したと報じたことが話題になっている。ガーディアンもこれに間違いはないと報じて、一方の日本側は否定しているのだが、これまでに国内で行われた接種回数との差分、4,960万回分はどこに行ったのか。もちろん、日本政府の発表をそのまま信じる者はいないとして、間違えるにしても誤魔化すにしても数が大きすぎると思うのである。

東京ディストピア日記

3回目の非常事態宣言が発出したこのタイミングで、桜庭一樹の近刊『東京ディストピア日記』を読んでいる。COVID-19が徐々に日常を侵食して初めての非常事態宣言が市井の人たちの生活を大きく変えた長い春から2021年初頭にかけての記録であり、著者が自ら稗史という通りの内容なのだけれど、あまりに多くのことが起こったこの1年を時系列で記録してあるだけでも読み応えはあるとして、作者の観察と友人の意見とインターネットが伝える出来事がやがて世界の変容を象って、地球の裏側までの射程をもった文脈を成立させているあたりがとてもいい。事態がなお進行中であることを踏まえると、世界の終わりはこのように始まったとも読めるのである。

著者自身のnoteにしばらく投稿されていた記事ももとになっていて、そちらの雰囲気も好きだったけれど、書籍のもととなった雑誌掲載にあたってはもちろん書き込み方が違っていて、この対比も大変興味深い。ちょっと歴史的な価値があると思うのである。

AWAKE

『AWAKE』を観る。吉沢亮が陰キャそのものの大学生というところに、この映画の最大のチャレンジがあるのではなかろうか。言ってしまえば地味な題材だし、脚本は将棋そのものの勝ち負けにすらさほど関心がないような塩梅で、しかしヒーローでない吉沢亮もなかなかよくて、きちんと役者の仕事をしている。舞台は2010年代半ばなのだが、そういえば電王戦はその歴史的使命を終えたとして既になく、AI開発は完全情報ゲームに既に興味を失っているようにも見え、時の流れの速さに遠い目となる。

3回目の非常事態宣言初日、長野・北海道の補選は早くに当確が打たれ、いずれも野党が制す順当な流れといえようが、もちろんこの状況での当然の勝ちに浮かれているわけにはいかない。

ホムンクルス

『ホムンクルス』を観る。原作の漫画は未読。未読なので、ちょっと夢野久作のような話なのかと思っていたら、だいぶ違う。あまり細かいことを気にせずに雰囲気を楽しむべきものとは思いながら、始めと終わりの世界観が変わってしまったような居心地の悪さがあって、これは脚本の問題なのだろうかと思ってみたり。

大阪では非常事態宣言にあたってUSJに無観客で興行しろという行政からの要請があったそうだけれど、飲食店には酒の提供をやめるように言い、つまり「自主的な」休業に追い込んで休業補償を回避しようという遣り口で、徹頭徹尾、市民に関心なく、癒着と中抜きの構造にしか金を落とさない愚劣な政治の姿を見る。そうした酷薄な傾向は何も維新に限ったことではなく、同時多発で補償を後景化しようという流れだからこのシナリオを書いている人間が中央にいる。そ奴は新自由主義の思想をもって財政緊縮論を唱えているに違いない。