転倒

横浜市が7月末までにワクチン接種が完了することを目標に掲げ、予約枠を4万6千人から2万人に「減らした」というニュースの意味を理解するために、段落を行きつ戻りつ読んで、とうとう全体としてどうするつもりなのかを理解できずにいる。取材が不十分というより、自分の管轄から締め出した数をどこで吸収するかの明確な青写真は実際のところ、これを行なっている連中も持ち合わせていないのではあるまいか。

しかし、そこまで馬鹿げたことがあるだろうか。悪目立ちしている神奈川県知事の陰で存在感を消しているとはいえ、無能であることにかけては双璧をなすと評判の林市長であれば、それを否定できないというのも確かであって、本邦はいよいよ末世の様相を呈してきた。上から下までコレであれば、多少の幸運があっても21世紀を生き延びることは難しいであろう。

ムーブ・トゥ・ヘブン

Netflixで『ムーブ・トゥ・ヘブン』を観る。このところ韓国ドラマから遠ざかっていたのだけれど、遺品整理士という職業を題材にして、残された故人の遺志を汲んで想いを届けるという物語にすっかりハマる。役者も立派なのだが、脚本がまず巧緻で人情噺としてよくできている。共感ではなく、洞察で物語を駆動していくための仕掛けにアスペルガー症候群を使うことの是非は論じられてもいいとは思うけれど、この上なくうまく機能しているのも確かなのである。Netflixオリジナルということもあってか、1話50分くらいで、ほどほどというのもいい。

今ここにある危機と僕の好感度について

『今ここにある危機と僕の好感度について』の第4話を観る。最終話一歩手前、先週の休みを挟んで物語は主人公の神崎が謎の症状で発熱している状況から始まる。自覚症状のばらつきがある原因不明の病気が蔓延し、都合の悪い真実は必ず隠されると内部の人間が信じる組織において、見当違いの検査で隠蔽される事実。大学の威信をかけたイベントの開催のために見て見ぬふりをする理事たち。相変わらず、渡辺あや脚本の寓話性は怯むことなく、そうとわかるように現実をトレースして、伊武雅刀の身も蓋もないナレーションと相俟ってぶすぶすと刺してくる。滅法面白い。

そして現実では、IOCの会長が「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と恐ろしく尊大な物言いで、おそらく当人はいいことを言ったとでも思っているステートメントが報じられて、辛辣な寓話を上回るブラックな状況になっているのである。ファシズムの信奉者の言いようと、どこか違うところがあるのだろうか。つまりオリンピックが第三帝国に利用されたのと同じ方法で、IOC自身が自らの野心を達成しようというのである。地獄か。

アーミー・オブ・ザ・デッド

Netflixで『アーミー・オブ・ザ・デッド』を観る。ゾンビ映画を148分もの尺で作ってしまうとは、さすがザック=スナイダー。エリア51から搬出された怪物がラスベガスをゾンビの街に変え、いろいろあってエリアごと隔離されるまでがオープニングタイトルの中で語られる。本編はつわもの達が集って、この街への潜入脱出作戦を決行するというストーリーで、派手だけどもちろん長いし、こいつはどういう死に方をするのかという興味だけで観る映画と言えなくもない。『エイリアン2』へのオマージュがいろいろ入っているのは、どういうことなんだろう。

IOCは感染の状態がどうであれ、オリンピックの開催を強行する構えを改めて示している。緊急事態宣言下の開催といえば、そもそも招致からしてそうであり、この国は10年来、原子力緊急事態宣言の下にあるのだ。COVID-19は政府と五輪の醜悪な側面を可視化しているに過ぎず、その性根はあまりにも腐っているので自ら腐臭を放たずにはおかない。徹底検査で安全なオリンピックが保障されるのであれば、無論のこと国民の生活もそうなのだ。

たおれゆくひとの

『ゴジラ S.P』の第9話を観る。あらゆる怪獣もののイメージを丁寧にコラージュしながら、その上をいくスケールで世界を描き、ゴジラという空虚な特異点を象るこの物語のすごさはどうだ。何度でも観る必要がある。どんどんカッコよくなっていくジェットジャガー。

ガッキーのインタビュー記事を手がけたこともある西呑屋おかみから、こちらの推しの祝福を受けるというのも不思議な理路というべきだが、『逃げ恥』の原作者も脚本家も周囲から言祝がれていて、さらに互いに祝い合う祝祭のような状態になっている。その為人を知るひとたちにとってはごく自然な成り行きとみえ、つまりこれがガッキーの人徳というものであろう。星野源というわけではなく。

俺以外の奴

ガッキーと俺以外の星野源が結婚したというニュースが流れたこの日、Twitterのトレンドには「俺以外の奴」というワードがしばらく漂っていたのである。わかる。

『大豆田とわ子と三人の元夫』の第6話を観る。元夫たちと三人の女が地獄のような掛け合いを続ける餃子パーティのテンションが最高に面白い。ひとしきり面白がってからの予想外の展開で第一章完結。『俺の家の話』を思い出したものである。死生観のこうした滲出が時代の空気というものか。

おかえりモネ

そういえば今週から始まっているということを思い出して、NHKプラスで『おかえりモネ』を観る。清原果耶はちょっと好きである。『透明なゆりかご』の安達奈緒子脚本というあたりも少し期待していて、しばらく観てみようかと考えている。どうでもいいことだが、コロナ影響による切り替え時期のズレはどのタイミングで解消されるのであろうか。大河ドラマもそうなっているのだけれど、COVID-19の拡大が収束するまでは、どのみち不規則化のリスクを抱えているという判断なのであれば、多分その通り。

民間ならとても投入できないであろうレベルのWebサービスについて、不具合を咎めるのがいけないとでも言いたげな政府の言動が続いているわけだが、入り口から出口までこのレベルであれば、よほど程度の低い代替でもそこそこいい仕事に見えるのではないか。選挙こそ唯一の解決策であろう。