ワクチンの「大規模」接種のオンライン予約システムが、温泉宿の帳場のごときおおらかさで架空データの入力もできるという話には、あらかじめシステムの準備をするどころか、そもそも要件を決めることすらできない、優秀といわれた官僚システムの荒廃を見る思いだが、そのゴミのようなシステムを受注した正体不明の会社に竹中平蔵が顧問として名を連ねているとあっては、この国をよくするには実はかの害悪を取り除くだけでいいのではないかという期待もまた。この言葉をたびたび使うことに忸怩たる思いもあるが、国賊の他に適当な形容を思いつかない。
Month: May 2021
クララとお日さま
カズオ イシグロの『クララとお日さま』を読む。裕福な子供の友達として作られたAFというロボットのクララが、店頭にいた頃から、やがて買われていった家庭でも外界の学習を続け、信仰をさえ持ってパートナーとなった少女のために動き、祈る。たとえば『わたしを離さないで』に近い雰囲気は確かにあって、孤児の物語であり、その使命を終える地点まで語られるという点でも似た構造をもっている。クララによる一人称の物語は、どうやら情報の処理がオーバーフローすると現れるボックスという現象によって主観画像が突如、変化することがあり、ぎょっとするような異質な世界が不意に立ち上がって不穏を演出する。その世界を一貫して描き切る筆力の確かさは今さらいうまでもなく、終盤の余韻は気づくと澱のように残っている。
囚われた国家
『囚われた国家』を観る。エイリアンに制圧されてから9年後、人類はその支配の下にあって地下資源の採掘に協力しながら生存を許されていた。幾度かの抵抗の企てに失敗しながら地下組織は同胞の追跡を逃れて活動を続け爆破テロに成功したが、といった筋書きの侵略もので、抵抗活動の描写に補助線が描かれていくことで、ことの全貌が明らかになる。ジョン=グッドマンやヴェラ=ファーミガが渋い役柄を固めて、わりあいよく出来たエスピオナージュのような味わいがある。観る者を選ぶとは思うけれど、悪くない。2019年の映画なので、当然のようにトランプ政権下の状況についての政治的含意があり、2期8年の可能性すらあった当時としては一層、重い文脈をもって解釈されていたわけである。ポスト・トランプの世界がマシであるという以上によいものであると、言うことができる人間は少ないとして。
五輪の開催に異を唱えないのは政府と主要メディアだけではないかという異常事態に、野党共闘は6月解散のシナリオも想定しているというニュースがあって、オリンピック返上と同時に一か八かの解散総選挙という目が出てきたのではないかという気がする。是非はともかく、インドがそうであったように、総選挙は感染を一層、拡大するであろう点が気がかりではある。
姉ちゃんの恋人
Netflixで『姉ちゃんの恋人』を観る。岡田惠和の脚本だったので、Amazon Primeの配信を観ようと思っていたのだけれど、第1話の冒頭で挫折していたのである。体験がNetflixに馴染んでしまっているので、アマプラで連ドラを観ようという感じにならないみたい。
そして本編はコロナを体験した人たちの物語で、しかしハロウィンの頃にはかつての日常に復帰しているドラマなのである。そういえば、あの自粛をきちんと活かすことができれば、こうなっていた可能性は十分にあったのだ。実際のところ。
まぼろしのすがた
『ゴジラ S.P 』を観る。第8話にしてだいぶ怪獣ものらしくなってきて、一方でセリフの濃密ないつもの調子も健在なので、いろいろ楽しい。『シンギュラポイント』というそのタイトル通り、この物語はA.I.が自我をもつ話になっていきそうだけれど、ユング改めジェットジャガーユングとペロ2のキャラが立ち、ジェットジャガーのアクの強いデザインが不思議とカッコよく見えてくる見せ場。
北海道の新規感染確認が爆発的な増加を見せているにもかかわらず、札幌の非常事態宣言を要請という自治体の意向に反して発出は見送りということになったようだが、この期に及んでマラソンへの影響を忖度しているようにしか見えず、行なってしまったテスト大会と合わせ正気の沙汰とも思えない。GW後の各地の状況を照らし合わせると、いろいろがいよいよ手遅れという気がするのだが、ただ思考を停止しているように見える政治の状況はなんなのか。「ナイターやってるんだからオリンピックできるだろうというくらいの感覚でいる」という衝撃的な記事を見かけたが、ことによると本当にそれぐらいの脳味噌しか持ち合わせていない可能性もある。
丸投げされた自衛隊が37億円で接種会場の運営を丸投げというニュースで、随意契約の不透明さと、これを請け負ったのが旅行会社であることの不自然さからGOTOがわりの利益供与ではないかという観測が出ている。これは全く腑に落ちるのだが、こうした者どもを評するのに国賊という言葉しか思いつかない。
ダブスタ
わかっていたことではあるけれど、五輪におけるPCR実施件数の見通しは1日7万件となるという話は、公称20万件、実質10万件の日本の現状からすると、それができるなら何故、国民に対して実施しないのかという疑念を呼び起こさずにおかない。そもそも検査抑制派が事前確率の低い集団にPCR検査をすべきでないというデマゴギーを流布した挙句の、五輪のみ国際標準という話である。舐めているのか。
コロナウイルスがかくもさまざまな角度からこの国の構造的な腐敗を明らかにすることには、ちょっと感心するほどで、戦争と同じく、疫病後にはこれまでとは違う価値観が世の中を形作ることになるのではあるまいか。
閾値
当方の観測によると、この流れのオリンピック開催は無理ということで大勢は固まりつつあるようだけれど、その理解でよろしいか。本邦の総理大臣は国会答弁もままならない状況だし、関西では維新系の知事がテレビ活動のみを熱心にして、その実、棄民政策が堂々と実行されていることも理解されつつある。どれも1年前から明らかだったことが、今さら問題となっているだけではあるのだけれど、医療は崩壊し、死者の数が積み上がる状況でニッポンの集団としての意識もいよいよ現実を直視せざるを得なくなったようにみえる。
この日、既に発出してた緊急事態宣言の延長が始まったが、1日の死者数は1,000人を超えて過去最高となった。株価はすでに実態経済を語るものではないが、米国株の下落を受けて終値で900円以上下落した。