Presence IV

『大豆田とわ子と三人の元夫』の第9話を観る。いよいよ来週の最終回を前に、エンディングには松田龍平の参加している『Presence IV』が投入され、本編でもあったかも知れない夫婦の人生が少し長めの尺で語られて精神を削る。何だろう、この『エヴァンゲリオン』みたいな取り返しのつかなさは。鹿太郎の出番が少なかったことだけが残念で、しかしやっぱり面白くて、慎森が愛おしくて仕方ない。次週、刮目して待て。

6月20日までとされている緊急事態宣言の期限を前に、蔓延防止措置の解除が一部で始まっているけれど、一方で数理モデルによる感染予測は8月に再度の緊急事態宣言が避けられなくなるだろうと予測していて、1月の時と同様、それは概ね当たるに違いない。その上、このところ検出されているデルタ株の調査は全く追いついておらず、計算の前提には織り込まれていないはずなので、事態はさらに悪化すると考えられるのである。無策と同義のワクチン頼みの戦略は早々に破綻して、ツケは国民に回されるであろう。ちょうどそのタイミングにオリンピックである。いやはや。

任侠学園

『任侠学園』を観る。今野敏の原作は未読。西島秀俊が任侠団体の代貸の役回りで、問題のある学校の立て直しをする羽目になる。親分のいうことは絶対の信念に従って、嫌々ながら理事として学校経営に関わることになるという筋書きで、いろいろあっても何しろ西島秀俊がいい。池田鉄洋がインテリヤクザの役というのもうれしい。ストーリーは、まぁ、何から何までお約束ではあるものの、であればこそ安心していられるというものである。エンドロールがNG集という映画を久々に観た。

ミス・アメリカーナ

Netflixで『ミス・アメリカーナ』を観る。混乱を極めていた2018年のアメリカの政治状況において、もう黙っていられないとばかり明確な政治的立場の表明を行ったテイラー=スウィフトのこれまでに密着したドキュメンタリー。思えば中間選挙の結果は厳しいもので、そこから延長線上の世界というのもあり得たのである。彼女に勇気づけられた人も多かったに違いない。アメリカを象徴する成功者の、大衆に取り囲まれた人生の険しさはかつてどこかで見たことがあるものだけれど、カニエ=ウェストが呼ばれもしないのに割り込んでくるヴィランの役回りで異彩を放っている。下衆なのである。

全体としては新規の感染確認が減少する月曜日、神奈川県は前週に比べて増えていて、緊急事態宣言下の人流の増加が早くも再拡大をもたらしたと見えなくもない。変異株のなかでもひときわ感染力の高いデルタ株の症例が見つかっていることも心配材料で、ここで第5波となれば、もちろん東京も後を追うことになる。

そうした状況にもかかわらず、政権とそれを取り巻く政商竹中の強行姿勢は相変わらずで、開催に慎重な専門家の意見に食ってかかる傍若無人で恥を知らないところを曝け出している。この日、JOCの経理部長というひとの自死が伝えられて、またしても汚い利権の横車によって追い込まれた人間が犠牲になったということではないのか。

ブラックホール

Netflixで『ブラックホール 知識の境界線に挑む』を観る。地球上の8箇所の天文台を連携させた Event Horizon Telescope によるブラックホールの撮影と画像化に取り組むEHTチームと、ホーキング放射がもたらす情報パラドックスの研究のさなか、スティーヴン=ホーキングその人の訃報を知る理論物理学者のグループを追ったドキュメンタリー。どうしてか今やその存在を疑う人もいないだろうほどにメジャーとなったブラックホールだけれど、アインシュタインの理論が示した存在を実際に確かめたといえる初めての成果で、100年がかりの実証だとすれば当事者の興奮もよくわかる。重力波の観測とあわせ、一般相対性理論の確かさを証明する証拠は積み上がっているけれど、これまでの苦闘そのものが宇宙の深淵の深さを想像させるのである。

事故物件

『事故物件 恐い間取り』を観る。亀梨和也主演、中田秀夫監督で、コロナ禍の2020年にあってもそこそこのヒットとなったホラー。10年続けたコンビを解散し途方に暮れる山野ヤマメは、事故物件に住む芸人として業界での生き残りをはかる。今だと『コントが始まる』と重なる文脈があって、春斗がマクベス解散後、やむに止まれず事故物件に住む未来だと思えば暗然とするわけである。いやぁ。

この映画の原作は、実在する事故物件芸人の本だそうである。お笑いにそうしたジャンルが存在すること知らなかったのだけれど、映画は状況設定だけ拝借しているとみえて、かなり極端な怪異が登場する。まさか、現実にインスピレーションを受けたというわけではなかろうが、ラスボスの形態があのようになったのはどうしてなのかは少し興味がある。そして江口のりこは中田監督の世界観を全うする立派な仕事をしている。

盗賊団

このところ政府分科会の発言をかりて、パンデミックの状況でオリンピックの開催をすることは普通ではないという当たり前の意見が紙面に載るようになったが、政府はオリンピックの開催可否について分科会に諮らない方向だそうである。科学的で合理的な知見というのは、もちろん理論と仮説のモデルにもとづくものであり全てを見通すことを約束するものではないとして、この不確実な世界でよりよい判断を行うには不可欠なものである。政府のこの態度は、つまりオリンピックの開催こそ目的であるということを意味する。

これまで、科学的知見が政策に都合よく歪められる旧ソビエト型の抑圧によって検査抑制論や空気感染否定論が幅を利かせていたと思ったら、今度は「専門家のご意見」すら聞かないのだから、もちろん政権が目指しているのは国益に適う政策の実現というわけではなくて、それを口実にやりたいことやる開発独裁型の強権政治なのである。腐臭がキツ過ぎる。

りふじんながくふ

『ゴジラ S.P』の第11話を観る。1話23分の尺に結晶のように緻密で濃密な物語が構成されているのは毎度のこととして、フラッシュバックによる語り直しや結末に向けて旋回が始まった雰囲気もあって、話はますます分厚い。ジェットジャガーのデザインを見た時にはここまで重要な役割が振られているとは全く思わなかったけれど、再起動を繰り返して辿り着いた地平から振り返れば、この線もまた綺麗な軌跡を描いている。素晴らしい。

非常事態宣言下にしては減り方のペースが遅いようにもみえるCOVID-19の新規感染状況だが、インド株あらためデルタ株は市中において感染の増加が確認されており、しかしこれに取り立てて対応しようという動きはなくて、実態としては成り行き任せが続いている。驚くべきことに、オリンピックはなりふり構わず実施という構えを崩していないのだが、衝突コースにあるという認識がないこと自体にまず驚く。