諸説

政権が人事を刷新した後、衆議院を解散し、対抗馬の出ている自民党総裁選挙は先送りするという観測が出ている。9月12日までとされている非常事態宣言解除の見通しが立っているとは言い難い状況で、政党間どころか自党内のイザコザだけを念頭において衆議院選挙もやってしまおうという話だから、何だか去年の米国よりも混沌とした事態になってきた。来るべき新政権はせめてバイデンの政権移行パッケージを参考にすべきだが、もちろんリカバリーは絶望的に複雑な工程になる。

この日、コロナに感染して自宅に放置状態の40代が亡くなったが、保健所のフォローはAIボットによるやり取りだけだったという話が伝えられる。そのボットがどのようなものかわからないが、対応すべき状況の圧倒的な増大に部隊が壊滅したあと、自動運転されているだけの装置であれば、もちろんその戦略的劣勢を部隊の責に帰するわけにはいかないはずである。

股旅新八景

長谷川伸『股旅新八景』を読んでいる。八景というからには八つの物語が編まれた短編集なのだが、今さらいうまでもなく、ひとつひとつの密度が高い。開巻から数段落の入神の筆致には感心しきり。

背後にヒヤリとしたものを感じた八丁の浜太郎は、永年の鍛錬で、気がついたときはからだをかわすとき、かわしたときは腰の長脇差がものを言う時だった。

書き出しから一筆書きのように情景が流れていくのには、文字通り息をつく間もないのである。いやいや。

この日、パラリンピックの児童観戦をめぐり引率の教師がCOVID-19に感染していたという騒動があり、日本語変換的には東京都特許許可局みたいな観戦と感染のせめぎ合いが続いている。千葉県は中止の考えはないという判断を夕方には撤回して以降の児童観戦はキャンセルされたようだけれど、この無意味な強情はいったい何がもたらしているのか、さすがに不思議に思える。愛知では、これまでの感染対策をひっくり返すような野外フェスが行われたという事案が話題となり、どこもかしこも狂騒と混迷のなかにあるというのが本邦の現在位置のようである。いったんピークを打ったかにみえる感染状況だが、遠からず再拡大となるだろう。

暁の宇品

堀川惠子『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を読む。広島・宇品を拠点とした陸軍船舶司令部のキーマンとなった三人の軍人を通じてその興亡を描き、旧軍の兵站思想の実際を浮き彫りにする。これまであまり知られていない田尻昌次中将の手になる資料を発掘し、往時の状況に照らして読み解いていく手つきだけではなく、太平洋戦争直前に軍を追われた中将の謎の設定と取材を通じて発見されたその答えを読ませる筆致も秀逸で間然たるところがない。

国家が経済そのものを戦時体制に動員していくなかで、これをシステムとして計量化して理解することができず、物量的にははじめから明らかな負け戦に突入し、結局のところその辻褄を合わせるために現場が疲弊するというのは、さきの大戦だけでなく、言いたくないがこの度のパンデミックにおいても再現されている構図で今日的な文脈が際立っていると思うのである。

海街チャチャチャ

Netflixで配信の始まった『海街チャチャチャ』を観る。スタジオ・ドラゴンの新作で、みんな大好きキム=ソンホ主演のロマンスであれば、とりあえず10月までこれを楽しみにしていけると思うのである。例によって週2回配信で1話75分見当のようだから分量も申し分ない。

第1話は、ソウルで歯科の勤務医をしているヘジンが拝金主義の院長と衝突して職を辞し、母との思い出があるコンジン洞を訪れ、いろいろあって唐突にこの漁港での開業を決意するまで。この女医をシン=ミナが演じていて、行く先々でキム=ソンホ演じるホン班長に出会うという趣向なのだけれど、ロマンチックコメディの序盤の定石を踏みつつ、NGになりそうなカットもそのまま使っているのではないかというくらい緩い感じなので、全くストレスなく観られる。

DOMDOM

『お耳にあいましたら。』も、いつの間にかエピソード7。伊藤万理華と松本壮史監督の評判はここにきて非常に高まっているけれど、このドラマは『サザエさん』のように面白さを語りきれないところが面白くて、主人公の高村美園と実際の伊藤万理華は似ても似つかないに違いないと考えつつ、しかしこのキャラクターはこれしかあり得ないと思って観ている。今回紹介されている外食チェーンはドムドムハンバーガーで、この街にもあった店舗が消えてからずいぶん経つので、旧知の消息を久しぶりに聞いたという感慨が先に来る。

災害の時に政治が気配を消すというのは安倍政権からの姑息な習性となっているが、成り行き任せの作戦不在のまま12万人近くが自宅に放置されこの疫病がいよいよ猖獗を極める状況において、このまま引きこもってやり過ごすことができるとでも考えている節がある。もちろん、そんなはずはない。この日、渋谷に開設された若年層対象のワクチン接種会場は先着200名という触れ込みで開始されパンデミックのさなかに長蛇の列を作り、若者のワクチン接種意欲を可視化する社会実験と化す。この常識と展望のなさこそ、本邦の不幸を象っているようにみえる。

人災

おそらくはお盆の効果でこのところの東京の感染確認は前週を下回る傾向があるとして、東京都のモニタリング会議では、新型コロナウイルスの感染拡大の状況は災害と同じで各自は自分の身を自分で守る必要があるとまでいわれる状況となっている。数値のトレンドが飽和している以上、目に見える状態よりも実態はよほど深刻なことになっているのだろうが、今の状況が災害というなら、ここに至るまでを阻止するチャンスはあったのに科学的思考の軽視と誤った意図の強行によって、かえって被害を招いた人災であるとは何度でも言っておかなければならない。検査抑制とGOTOイベント、オリパラという要因によって本邦の医療は崩壊した。

これまで数理モデルをもとに感染対策を検討してきた西浦教授はその記事のなかで「テーパリング」という言葉を使い始めている。この感染症の今後の状況を表すのに金融政策の介入終了シナリオにおいて使われる言葉を選択するということは、つまりパンデミック対策としての社会的介入も全体がいわゆる集団免疫に近づいていくことを期待しながら終了モードに移行するという出口戦略を語っているということになる。問題は出口戦略のタイミングを推し量ることができるほどのデータの蓄積が本邦には存在しないということではないのか。仮説のモデルがあり、それを検証するプロセスが存在しない状況では、仮説は希望的観測によって採用され、政策遂行のため再び恣意的に利用されるだろう。

本邦の数理モデルの議論が仮説とモデルと机上のシミュレーションにとどまり、データによる検証に十分なリソースが投下されていないように見えるのは金融政策においても同様であり、であればそれによる失敗は仮説検証プロセスの停止として起こり、結果は停滞として現れ、状況改善に寄与しないまま30年も続くことになる。

1回目

この日、自治体で新型コロナワクチンの1回目接種を受ける。我々の年代は予約開始は7月29日となっており、その初回ロットに入ってはいる感じ。既に数ヶ月続いている作業だろうから、接種会場のオペレーションは慣れたものだし、どちらかといえば運営側の人数も多過ぎるくらい。特に騒動もなく会場で15分間様子をみて帰宅。水分を多めに摂り安静にするけれど、夕方には早くも腕に痛みが出る。このあたりは噂に聞いた通りの経過で、発熱まであるかどうかは現時点では分からない。

分からないといえば、身近では1回目5日後で39度を超える熱が出てPCR検査では陰性という例があったので、コロナと同じくワクチンの機序自体も全てが明らかになっているわけではないという印象が強い。このブースターを重ねながら凌いでいく未来というシナリオの確度が高まりつつあるのだけれど、どこかで不具合が判明しても驚かない。