人災

おそらくはお盆の効果でこのところの東京の感染確認は前週を下回る傾向があるとして、東京都のモニタリング会議では、新型コロナウイルスの感染拡大の状況は災害と同じで各自は自分の身を自分で守る必要があるとまでいわれる状況となっている。数値のトレンドが飽和している以上、目に見える状態よりも実態はよほど深刻なことになっているのだろうが、今の状況が災害というなら、ここに至るまでを阻止するチャンスはあったのに科学的思考の軽視と誤った意図の強行によって、かえって被害を招いた人災であるとは何度でも言っておかなければならない。検査抑制とGOTOイベント、オリパラという要因によって本邦の医療は崩壊した。

これまで数理モデルをもとに感染対策を検討してきた西浦教授はその記事のなかで「テーパリング」という言葉を使い始めている。この感染症の今後の状況を表すのに金融政策の介入終了シナリオにおいて使われる言葉を選択するということは、つまりパンデミック対策としての社会的介入も全体がいわゆる集団免疫に近づいていくことを期待しながら終了モードに移行するという出口戦略を語っているということになる。問題は出口戦略のタイミングを推し量ることができるほどのデータの蓄積が本邦には存在しないということではないのか。仮説のモデルがあり、それを検証するプロセスが存在しない状況では、仮説は希望的観測によって採用され、政策遂行のため再び恣意的に利用されるだろう。

本邦の数理モデルの議論が仮説とモデルと机上のシミュレーションにとどまり、データによる検証に十分なリソースが投下されていないように見えるのは金融政策においても同様であり、であればそれによる失敗は仮説検証プロセスの停止として起こり、結果は停滞として現れ、状況改善に寄与しないまま30年も続くことになる。