伝播

学校の再開に向けて危機感を伝える報道が増えている。この危機感は正常なもので、そもそも一貫してPCR検査の少ない日本では、発症しない限り感染者として捕捉されないという状況で、年少者の感染が少ないというのは観測上の欠落に過ぎないと考えられるからである。無症状でも検査を行うアイスランドでは若年層への感染の広がりを捉えたデータがあるという。その分布を前提にすれば休み明けは子供の持ち帰り感染事例が続発するだろう。

大阪では1割感染で休校という方針が示されたそうだが、今さらながら指数関数的な感染の広がりということを全く理解していない証左とみえ、そのこと自体が恐ろしい。今になってこのレベルでは、秋にかけて疫病が猖獗を極める状況を覚悟しなければならない。

ここはグリーン・ウッド

紙の本も地層のどこかに埋もれているのだけれど、Kindleで那須雪絵『ここはグリーン・ウッド』がセールになっていたので全6巻を買い求め、ほとんど30年ぶりに集中して読む。展開を忘れているのにページごとの内容を確かに思い出すのは、かなり繰り返し読んだからである。名作。固定電話の描写が時間の流れるを知るよすがというところはあるとして、古びたところのない面白さよ。

東京の新規感染確認は久しぶりに3,000人を下回り、このところ重症者数もプラトーに達していることがあって、うかうかと、ついにピークに達したのかと思うところだが、この状況にありながら都内の検査数は異常な減少で、重症者数に至っては人工呼吸器かECMO利用者であることと定義を変更した結果、人工呼吸器とECMOの数を上限として数が増えないという悪魔的なカラクリがある世紀末日本。

この状況を招いた政権と都知事が、コロナ患者の受け入れを医療機関に強要して病院名の開示をちらつかせる恫喝を行い、一方でパラリンピックの歓迎会をこっそり行うというニュースフローのおぞましさ。夏休み明けの学校再開に向け、文部科学省から「教室の机の間隔は2m以上」という通達が出ているという話で、もちろん教室に机が入りきらないという事態を生み、現実が虚構新聞化している。

パンデミックに際しての社会的介入でいちばん重要なのは学校という話は『最悪の予感』にも触れられていたけれど、中央と現場の乖離は太平洋戦争末期の逸話にも似て、デルタ株による子供への感染拡大が心配される状況でほとんど実効的な方針も対策もないまま、この国は夏休み明けを迎えることになる。

劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん

『劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』を観る。菅波先生こと坂口健太郎が、素性を隠し疎遠になっていた父親とエオルゼアの世界で共に冒険して心を通わせる。ロマンスがあるわけでもなく、事件というほどの事件は起きないし、全ては予定的に調和する世界の話ではあるけれど、オンライン世界ばかりでなく、主要な舞台となるお茶の間の美術も劇場版の名に恥じぬ作り込みがされていて、それだけでも結構、観られる。物語の神は細部に宿る。

この日、横浜市長選は地元に睨みを効かせる自民の推薦候補が敗れ、悪い評判もあった立憲民主党の推薦候補に投票締め切りと同時に当確が打たれる。現下の状況を踏まえれば与党が負けるのは当然として、同日、維新の会が自公との部分連携に意欲を見せているというニュースが不気味に流れる。自公退潮の補完勢力として維新が台頭して悪魔合体を果たすというのは悪夢的シナリオで、これらはまとめて始末せねばならぬ。

ブラタモリ 諏訪

随分、久しぶりの地方遠征という気がするけれど、『ブラタモリ』の舞台は諏訪。上諏訪、下諏訪、岡谷、茅野、原村、富士見の諏訪広域6市町村を指して諏訪とする説明になっていたので、つまりついに地元での『ブラタモリ』ということになる。その内容は、糸魚川静岡構造線と中央構造線の交点たるこの地を、地質学的な特徴と縄文遺跡によって思いのほかすっきりと語っていて、今回は山歩きばかりというぼやきはあったけれど、その神の名すら定かでない上代の人びとの生活を語り、縄文海進を話題にしているあたり、贔屓目ありとして『ブラタモリ』の一番美味しいところで、近年稀にみる神回というべきではなかろうか。土地は憶えているのである。

感染対策は夏休みモードで検査は頭打ちという状況が続いている。そうこうしているうち、横浜在住の坊やがPCR検査を受けるハメになって、いやもう冗談じゃないのである。

アマプラ

Amazon Primeの庵野秀明推しには力の入り方を感じていたのだけれど、やにわに松本人志との対談が配信されているので驚く。Amazon Primeのダメなところは特定傾向の不愉快な広告を入れてくるところだと思っていたのだが、二人のクリエイターという趣向での対談となっているのにはさらに驚く。へぇ。

このところ従来、検査抑制派として振る舞ってきた一群のアカウントがロックダウンに反対する一見、マイルドな表明を繰り返していて、もともと動機に不透明なところがある一派なのだが、妙に統制がとれた行動でもあって気になる。一方で全国知事会がロックダウンを要望するパラリンピック直前。チケット代をJOCに還流させるための学徒動員の是非が争点となる異常な状況だが、制御不能の災害状況にあって論じられるべきは、イベントそのものの中止であろう。

神戸大学の牧野教授が東京都のPCRのサンプル検査のデータを示していたけれど、徐々に頭打ち感の出ている新規感染者数の推移とは裏腹に減衰のみられない増加が観測されていて、この乖離は懸念されている検査の飽和をどうやら示している。

VOYAGER

盆休みの『シンエヴァ』からこっち、気がつくと脳内で『VOYAGER』が再生されている。かつて『さよならジュビター』の主題歌としては、映画のどのあたりで使われていたのかちょっと思い出せずにいるのだけれど。『ひこうき雲』と同じく、時空を超えた映像作品とのコラボによって存在感を深めるユーミンの喚起力には、メロディとリリックだけではない、世代的な文脈があると思うのである。近頃の若いもんは、これをどのように聴いているのだろう。

この日、新規感染は2万5千人を越え、首都圏の医療崩壊にともなう痛ましいニュースが続く。もちろん報じられているのは氷山の一角に過ぎず、状況の収束さえみえない時間帯にある。ここに学校の再開が加わることについて、真面目に考えられているのだろうか。夜、千葉真一の訃報が伝えられる。

Editorial

Official 髭男 dism というグループ名を遠巻きに見ていた頃もあったけれど、『Pretender』は結構よく聴いたし、ライブビデオの完成度の高さにも感心する。なんならファンといってもいい。Apple Musicでは新しいアルバムもDolby ATMOS仕様で、本邦のメジャーアルバムではいわゆる空間オーディオに初めて最適化された作品ではないかと思うのだけれど、もともと立体的な印象の強い音源とマッチして聴きごたえがある。その『Editorial』でいちばん驚いたのは、アルバムアートワークがアニメーションになっていることで、何もかもが配信を前提としたつくりになっているのである。時代は変わった。

この日、1日の感染確認が2万4千人近くとなり、しかし専門家も実態はもっと多いという。27府県で感染確認が最多という状況で感染爆発は全国に及んだが上限はいまだ桁違いのところにある。ニュージーランドでは半年ぶりに確認されたひとりをもって都市ロックダウンに突入したことが伝えられているけれど、無論のことそれこそが正しい処方というべきである。