さようなら全てのエヴァンゲリオン

この日、緊急事態宣言の9月12日までの延長と7府県への適用拡大が決まる。この時点まで感染の拡大は継続し、既に発出されていた地域でも減少傾向は一向に見えないという有り様だから、この措置が直ちに効果をみるかは大変、疑わしい。事態は医療崩壊の実態をどこまで隠蔽できるかによって転び先が決まるという意味のわからない状況になってきた。客観的には、100万人あたりの感染者がインドを追い越してブラジル、アメリカを追い上げようかという勢いであるにもかかわらず。

Amazon Primeの『さようなら全てのエヴァンゲリオン 〜庵野秀明の1214日〜』を観る。アマプラの庵野秀明推しは気合いの入った状況で、今やNHKのコンテンツまで視聴できるようになっている。『ザ・プロフェッショナル』で短いバージョンを観たことがあったのだけれど、『シンエヴァ』を観た後であれば、腑に落ちるあれこれがあって興味深い。宇部新川駅のロケハンにまさかあのような意味があったとは。庵野がNHKの取材方法にクレームを入れ、本人でなく振り回される現場を撮れという申し入れを行うあたりのやりとりは佳境と言えようが、結局のところ庵野秀明当人を撮り切ったディレクターは『エヴァンゲリオン』というものをよくわかっていて、えらいと思ったことである。

最悪の予感

マイケル=ルイス『最悪の予感 パンデミックとの戦い』を読む。アメリカ合衆国のCOVID-19感染拡大における対応は結果として優秀というわけにはいかないが、今あるを予見して準備をすすめていた人たちを通じその経緯をみることで、現在進行形の課題を浮き彫りにしようという本書の企図は高いレベルで達成されている。

2000年代にジョン=バリーが『グレート・インフルエンザ』で鳴らした警鐘を受けてブッシュ政権下でパンデミックの対応指針を策定し、CDCをはじめとする官僚システムに邪魔されながら苦闘する人たちの群像が語られるのだが、『マネー・ボール』の著者だけにもちろん書き振りも優れたものである。登場人物はおしなべてノンフィクションらしからぬキャラ立ちをもっている。第一部がいわば前日譚で、第二部以降ではCOVID-19への初期の対応と現時点につながる非常に新しい内容になっており、早川書房の翻訳出版の速度にも感心する。

政府が迅速に行える事柄はごく僅かしかなく、危機に直面した場合、あらかじめ持っているボタンしか押すことができないというのは全くその通りで、現下の本邦でこそ読むべき図書ではあるまいか。指数関数的な増加がまだ胎動でしかなくパンデミック全体の全体像は感染者数だけを手がかりとしてきわめて曖昧にしか把握できない状況で、「症状のある人だけを検査する」というのがCDCの初期の基準であったことも語られているのだが、この国ではいまだにその誤りすら正すことができずにいるのである。

結局のところ、もっとも避けるべきはチェンバレン的な宥和政策だということだろう。ウィズコロナといい、結果的に集団免疫をいまだに目指しているようにしか見えない本邦は、大局において手酷い敗北を喫することになる。なにしろ本書の内容が示唆するところを突き詰めると、デルタ株が登場した後の対応として望むべくは「封じ込め」ということになるからだ。

エクストリーム・ジョブ

76年目の終戦の日。夜間降り続いた雨は諏訪湖周辺での浸水と土砂崩れによる被害をもたらす。

このところ韓国映画から遠ざかってしまっていたのだけれど、久々という感じで『エクストリーム・ジョブ』を観る。張り込みの偽装のために店をやったら繁盛してしまうというシチュエーションは『踊る大捜査線』あたりでもみたことがあるけれど、韓国映画ではサブジャンルとして確立している感のある「捜査班もの」の美味しいところを凝縮したつくりになっていて、本格的に店を経営することになる強引な展開も含めてなかなか面白い。ジャンル映画であればこそ徹底的にお約束に沿っているのがいいし、演出の間合いにも笑える。

東京都のモニタリング項目でみても検査陽性率は24%にまでなって、いまだに減少傾向をみせない。こうしたなか、感度が悪いといわれてきた抗原検査でも、デルタ株のウイルス量の多さであれば捕捉でき、まるでそのためにウイルス自身が進化したようだという呟きを見かけて打ち拉がれている。PCR検査を抑制しなぜか抗原検査に傾倒してきた本邦だが、この狡猾なウイルスがいかに挑戦的に振る舞おうとも、ほとんど何もしないと決めた政府のもとではこれを叩くことが出来ずにいるのである。

この日は、ココアの教訓をもう忘れたのか、若者のワクチン接種促進のためのアプリ開発に数億円とかいうニュースフローがあったけれど、定価のないデジタルが税金の中抜きのために活用される本邦のデジタルトランスフォーメーションの絶望的な状況はおくとしても、まずワクチン確保が先であろう。

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観る。もちろん、2回観る必要がある。タイトル記号からしてループ説を肯定し、最後は監督自身の物語に回収していったとしても、四半世紀越し、きちんと完結する物語があるのだということを示してみせたことだけで偉業というほかない。直接には語られなかったあれこれの奥行きに、そして程よくアクの抜けた林原めぐみのボーカルによる『VOYAGER』が流れるクライマックスに、万感胸に迫る。

朝から雨。引き続き感染は拡大し悲惨な状況だというのに、九州地方から本州にかけて広範なエリアで大雨が続き、この地でも山間部では避難指示が出る。既に氾濫に近い状態となっている河川もあるのだが、この雨は長く続くというから全く難儀なことである。こうした天候では気象庁のナウキャストを眺めるのが好きなのだが、アクセスが集中してサーバーレスポンスが落ちているようなので利用を控える。

あらかた移動の終わった8月13日になって都知事が帰省を諦めろと言っているピントの外し方は批判されて当然というところだが、首相はコロナ対策の評価を問われ、自己評価は僭越だと言ったそうである。まず、日本語として何を言っているのかわからないが、よく出来ているとでも考えているとすれば自己認識の歪みは狂人のそれであろう。同時に、ロックダウンの効果を否定しつつワクチンだと言っているから、少なくともスイスチーズ戦略の概念も理解していない司令塔を抱えてこの先を生き延びねばならないということになる。負けに不思議の負けなしとはよく言ったものである。

デッド・ドント・ダイ

『デッド・ドント・ダイ』を観る。ジム=ジャームッシュが撮った正調のゾンビコメディで、仕立てはB級映画なのにビル=マーレイとアダム=ドライバーを配しているあたり、この監督が目前にいたら「お前、そういうとこだぞ」と言いたい。

夜間に墓場から蘇ってのっそりと動くロメロのゾンビであるのはいいし、きちんと設計された画面であるのも確かなのだけれど、ティルダ=スウィントンに『キル・ビル』をやらせ、ことさらタランティーノしてみせるこの男の動機はいったい何なのだ。メタなスクリプトを押し込んで、わざわざ俗物臭を出しているあたりも好きになれない。しかし、COVID-19の影響で公開が延期された作品のタイミングをみると期せずしてコロナ前世代ゾンビ映画の掉尾を飾ることになったようである。これ以降のゾンビ映画はパンデミックを経験したものとなり、当面は自分語りの道具になるようなこともあるまい。

この日、全国の新規感染確認は初めて2万人を超える。長野県も100人を上回り過去最多となり、なかでも県外からの来訪者が2割を占める。首都圏が医療崩壊の状態では、もちろん染み出すようにして周辺の医療体制も逼迫していくことになる。今ここで厳格な行動抑制に打って出ることが必要だが、盆休みによる移動が既に始まっているうえ、本邦の首相の空疎な会見をみるといかなる希望も持たないほうがいいようだ。指数関数的な増加が何もかもを圧倒する爆発的状況を経験しない限り日本人の自粛本能が再び起動することもないだろうが、その状況は検査抑制と自宅放置によって何重にも不可視化されているのである。

ゾンビランド ダブルタップ

『ゾンビランド ダブルタップ』を観る。『ゾンビランド』の10年ぶりの続編で、監督も同じルーベン=フライシャーなのだけれど、他の数多の二作目と同様、世界観の提示が新鮮だった初代に比べて印象としてはだいぶ平凡。当時、ゾンビ映画のルールをメタに楽しむ趣向が楽しかったけれど、ジャンル映画がジャンルそのものに言及するようになった時、その分野は衰退に向かっているという言説の妥当性を、10年後の本作をもって証明しているようにもみえる。特にパンデミックを経験した世界では、このジャンルの荒廃は一気にすすんでいて、ポストパンデミックの景色を更新するとびきりの一作が待望されているのではなかろうか。

東京都のモニタリング会議が状況を猛威災害レベルで制御不能としたうえ、市民と危機感が共有できていないと言い始める。そもそも本邦の首相は人流が減っているという認識だったし、ワクチンもすすんでいるから大丈夫だいう論を張っているのである。都知事もオリンピックがステイホームを促しているとさえ言っていたのだから、そもそも危機感がないのは当局ということになる。そのうえ、自分の身は自分で守る意識が必要とまで言うようでは、政治は機能していないとなっても仕方ないのではないか。次第に地方での感染確認が増加して、各地で過去最多を更新する事態にもなっていてるけれど、見通しは暗いと言わざるを得ない。そもそも猛威災害の状況にあって、パラリンピックをどのように開催しようというのか。

大西洋南北熱塩循環

もう何度書いたかわからないけれど、『デイ・アフター・トゥモロー』は『インディペンデンス・デイ』と同じローランド=エメリッヒ監督で、デイ繋がりだけに誤解されているところはあるけれど、2004年の時点で温暖化がもたらす気候変動のメカニズムを描き、気の抜けたアドベンチャーパートはあるにして、ディザスタームービーとしては出色の出来だったと思うのである。劇中ではラーセンB棚氷の崩壊を扱っているのだが、ラーセンC棚氷の分解もすすんでいる現在、気候の激変傾向は引き伸ばされた映画のストーリーラインをなぞっているように見える。

この映画で重要な異変の前兆として描かれるのが大西洋の深層循環の変調なのだが、大西洋南北熱塩循環は安定性をほぼ完全に失い終わりに近づいている可能性があるとする新たな研究が投稿されたという記事を読んで震えている。観測データを知る者が口を揃えて起きてはならないという変化が、起きているのである。その影響もまた深く大きく現れていくことになる。