駄目押し

米国での感染再拡大がそろそろ看過できない時間帯に来ている。ニューヨーク市では飲食店の利用にワクチン接種証明の提示を義務付ける動きがあり、これに抗議するデモが行われる。ワクチンの有効性を示すデータが多くある一方、副反応をはじめとするデメリットは確実に存在するわけだから、ワクチン接種を拒否する人が一定数いるのは健全であるといえるし、その一群を結果として排除することになる政策に抗議の声が上がるのも当然ではあるのだ。健康被害を結果として認めない政府の対応があるとすれば、それがどこの国であれ疑念を深めるだけの結果となるだろう。副反応の存在が否定されないのに、実際に因果関係が認められるケースが極端に少ないとなれば、信用しろということに無理がある。

公衆衛生に関わるメッセージというのはことほど左様に難しいものである。この日、IOCのバッハ会長が離日の前に銀座を散策して物議を醸し、それだけでもいかがなものかという話だが、丸川五輪相が不要不急かは本人が判断すべきと述べて駄目を押す。ほとんど自粛頼みで積み重ねてきた本邦の感染防御はここでも大幅に後退することになる。これまで検査抑制をすすめてきた分科会メンバーがここにきてしれっと発言を修正しているのが僅かな救いで、結局のところ「本邦独自の対策」から撤退しないことには展望は開けないであろう。

独ソ戦

長崎原爆の日。この日のハイライトは慰霊式典に出席した本邦の首相が式辞を「用意された原稿通りに読み終えました」と時事が伝えたあたりか。今回の中継では予定稿によるテロップも出されなかったという話で、もちろん読み間違いを指摘されないためだから、その能力の低さばかりでなく、姑息な影響力の発揮をみても総理大臣の器ではないのである。

岩波新書で大木毅『独ソ戦』を読み始める。近年の研究をもとにした書き振りが好ましく、これまでの定説を批判的に説明してくれるので勉強になる。「絶滅戦争の惨禍」という副題が著者の射程を語っているのだが、スターリングランド攻防戦の地理的イメージをセットするところから始まる説明は大変わかりやすい。

スターリンがドイツの侵攻意図について明らかな情報を得ていながら、自らの粛清によって弱体化した自軍の事情ゆえ、これを真正と認めなかったくだりは、このたびの感染拡大における政府の現実否認に通底する心理で、歴史は繰り返すという月並みな感想を抱いたものである。そしてこれを喜劇というには、付帯的被害が大き過ぎる。

焦土

この日、オリンピックが閉幕となる。無観客の閉会式が行われてた国立競技場の周辺に大勢の人が集まったというから、このイベントへの支持と傾倒はそれなりにあったということなのだろうけれど、一方で感染確認の増加傾向は続き、倍加時間はさらに短縮していく。明日からは今さら、状況の切迫と危機を伝える言葉が増えていくに違いないのだが、もはや手遅れとみえる。

統計自体も飽和しているのではないかという見方が多くなっているけれど、市中の広がりは観測以上に深刻となっていて、自衛頼みのサバイバルとなっているポストアポカリプス的状況が首都圏の現在というわけである。本邦の首相と都知事にはIOCから最高勲章が授与されたそうだが、市井の文脈からするとカーチス=ルメイに贈られた勲一等旭日大綬章に匹敵する邪悪なエピソードである。

ライティングの哲学

Kindleのサイトで勧められて『ライティングの哲学』を読む。『書けない悩みのための執筆論』という副題が指し示す通り、Twitterやnote界隈で見かける書き手による座談会とアウトライナーを使った実践の記録が主たる内容となっている。執筆陣は皆Mac使いであるらしく、登場するツールは馴染みのあるものばかり。とにかくアウトプットするというあたりはナタリー=ゴールドバーグの指南に通じるところがあるけれど、こちらはそのための型に関心がある向きのための内容といったところ。かけがえのない存在だからこそ何を書いても意味があるという前者に対して、どうせ自分は何者でもないのだからたいしたものは書けないと諦めろと、東洋的ともいえる諦観が色濃いのは興味深い。そして、Tabula rasaを前に惑う人間そのものが読みものとしても面白いのはどうしてか。

今日から長い盆休みとなるひとも多いはずで、実質的なロックダウンのチャンスであったにもかかわらず、さほどのメッセージも出ないままこのまま成り行きまかせとなりかねない流れ。一方、自粛ベースの行動抑制だけで太刀打ちできないデルタ株の強力さには傍証が積み上がってきており、こんな状態ではどうにもならない。いや、そんなことよりこの日、BiSHのアイナとチッチの陽性が確認されるという大事件が起きているのである。

Mr. コーマン

Apple TV+で配信の始まった『Mr. コーマン』を観る。これもA24制作のドラマ。ジョセフ=ゴードン・レヴィットが制作総指揮・監督・主演で、音楽に夢を残しつつ中年の危機にある小学校の教師を演じている。『(500)日のサマー』からさほど時間が経った気もしないのだけれど、あの繊細さは剣呑な感じに転じて人生も厳しいものだという感慨ばかり。確かにA24は、笑いどころもないこのような映画を観る層を掘り起こすのが得意そうではある。

広島原爆の日のこの日、状況は反転の兆しなく、本邦の首相は追悼式典での失態は原稿を糊付けした事務方のせいであると述べて顰蹙を買う。いや、正気か。

過小評価

この日、東京の感染確認は5,000人を超える。これまで比較的に抑え込んできた山梨で過去最多を記録して、この地まであとひと山という視覚的な陥落感があるのだけれど、もちろん時間の問題である。たまたまみたルミネのプレスリリースでは雑居店舗の従業員が次々と陽性となって、もはや消耗戦の雰囲気であり、百貨店休業とするなら今だろうと思うのだが、レミングの群れのように行進は止まらない。

去年の春、ほとんど完璧なロックダウンをしてみせた本邦はそこから何を学んだのか。それが何であれ、シンプルなメッセージこそ有用であるのが明らかなのだから、ことここに及んでは全国での非常事態宣言とオリンピックの敢えての中止以外、取るべき策はないと思うのだが一体、何をしようとしているのか。さすがにそろそろ落ち着くだろうというとでも考えているとすると、さらに二桁の繰り上がりをみなければそういうことにはならないはずである。

居直り

自宅療養を基本とする政府の方針はかなり反発を受けている様子だが、NHKはあくまで直接の批判はせず、首相は方針を撤回しないとわざわざ再表明して引くに引けない状況に落ち込んでいる。まったく愚かなことだが、デルタ株の自宅療養はたちまち親族・近隣の感染を招いて火勢をさらに強くするだろう。論語に曰く、過ちを観て斯に仁を知る。しかし、今さら菅の人徳の程度を知ったところで、何の役にも立たない。

このところ、ネットのミームで帰省の自粛要請に対する大喜利が流行っているのだけれど、戦時下の国民の心情という感じで、面白くやがて哀しい。「中止の考えはない。強い警戒感をもって帰省に臨む」とか、笑うしかないとはいえ。