樹海村

『インベージョン』の続きを観る。初回は第3話までの配信で、以降は金曜ごとに一話づつといういつものペースのようだけれど、都合3時間をかけて世界の終わりのその予兆を描く贅沢さはさすがApple TV+。このペースだとファーストシーズンを通して、ようやく侵略者の存在が確認されるという感じになるのではあるまいか。引き続き面白いし、忽那汐里はちょっとカッコいい役回り。

そして『ファウンデーション』はますますスペースオペラ風に傾斜して、アシモフの原作でなくてもいいのではという意見も宜しという気がしなくもない。そして最近は制作の舞台裏について脚本チームが語るPodcastが配信されているのだけれど、科学考証と設定の辻褄についてはかなりアバウトな雰囲気で、そもそも原作原理主義的な感じはまるでないし、まぁ、これはこれでよいのではあるまいか。

そんなわけで週末のプログラムは目白押しなのだが、山田杏奈が出ているので以前から観ようと思っていた『樹海村』がAmazon Primeに来ていたのでこれを視聴する。何ならレンタルしようかとも考えていたのだが、評判の悪さが目について躊躇していたのである。このジャンルの話であれば、そもそも出来不出来の評価を気にするべきではないとして。若手有望株の山田杏奈だけでなく、國村隼や安達祐実が脇を固め、そうはいっても実績のある清水崇監督であれば、ジャパニーズホラーの水準作にはなっているのではないかと思ったのだけれど、まず何を評価すればいいかわからない感じで、集合知というのは時に真実を探り当てることがある。

県北高校フシギ部の事件ノート

サンクトペテルブルクの選挙で現職と同名の候補が次々あらわれて、政権与党による冗談のような選挙妨害と世界に伝えられたのは9月のことだけれど、月末の衆議院選挙に向けては自民党の重鎮候補の対抗馬と同名の候補が突然現れて、この国の民主主義の精神性が現在のロシアと同程度であることを可視化する。彼の国は先んじて憲法改正まで遂げているわけだが結局、やりたいことまで同じであるに違いない。

YouTubeで『県北高校フシギ部の事件ノート』を観る。茨城県と県北6市町が協力して観光PRのために作ったショートフィルムらしいのだけれど、地方PRとしては、らしからぬ民族学の風味と青春ファンタジーっぽい仕立てが話題となっている。もともと地方振興と民俗学は馴染みがいいに違いないが、プロデューサー・脚本・演出にクレジットされている石井永二はドラマ版の『古見さんは、コミュ症です。』の演出を手掛けているということで、まず、脚本と演出がよければ物語が立ち上がってくるということがよくわかる。まず知らしめるという目的にはよく適っているけれど、目的的に正しい施策を展開できる自治体は多くないのだろう。

インベージョン

Apple TV+で配信の始まった『インベージョン』を観る。予告から楽しみにしていたのだけれど、第1話の不穏な立ち上がりはなかなかのもので、実を言ってイントロのスチールだけでも掴みは十分という感じ。東京の街越しに上昇していくロケットブースターのヴィジュアルイメージは素晴らしい。その不思議な雑居感は東京のドラマパートにも組み込まれていて、忽那汐里と菊地凛子の存在感を際立たせている。一方、アメリカではサム=ニールが演じる保安官の物語が進行して、運命に通り過ぎられてしまった男の退職の1日が語られ、この話も奥行きがあるので侵略ものであることを忘れそうになる。見応えがあるのである。今のところ、M=ナイト・シャマラン監督が撮ってもおかしくない話の運びなのだけれど、演出はまたそのあたりとは異なる雰囲気を醸していて、これもいい、

かもめはかもめ

『おかえりモネ』もあとわずか。主人公の百音は後景化して、登場人物たちのいろいろに決着をつけようという展開が続いている。陸海空、大地と水と大気の循環をモチーフにしながら、ひともまた変わっていくということを肯定的に描く100話以上の積み重ねの果て、朝ドラ枠で浅野忠信に映画みたいな演出をあてるというプレイスメントのギャップが物語の終盤を盛り上げる。『かもめはかもめ』の歌詞と小道具としての電話の使い方は、ハイコンテキストな伏線とその回収といえ、繊細な話の運びだが、わかる人にとってのカタルシスは大きいであろう。いわゆる朝ドラらしくない脚本だが好きである。

この日は「すべてが整うと雨が降る」というサヤカさんのセリフがふたたび置かれ、ものごとに文脈を見出すのは人だけであるということをリマインドする。徹頭徹尾、イベントではなく、関係性によって紡がれる物語であって、そのことに自覚的であるのが好ましい。

婚姻届に判を捺しただけですが

『婚姻届に判を捺しただけですが』を観る。TBS火曜ドラマの秋クールといえば2016年『逃げるは恥だが役に立つ』だけれど、同じ偽装結婚ネタのドラマとはいえ、安直に二匹目のドジョウを狙っている訳でもあるまいと思ったら、音楽は末廣健一郎・MAYUKOで、もちろん金子文紀監督なので、ときどきそういう雰囲気も漂わないわけではない。キャスティングには捻ったところがあるとして、話の運びの強引さはときどき失笑してしまうほどで、これは原作がそうなのか。『逃げ恥』は脚本家が野木亜紀子であったことが決定的に重要だったけれど、もしかしたらその不在が悔やまれることがあるかもしれない。今のところ共感要素がほとんどない第1話拡大版だが、清野菜名と坂口健太郎は好きである。しばらくは観てみるつもり。

コロナ以降のドラマは屋内セットがやたら広大で、これは感染対策のガイドラインがソーシャルディスタンシングを規定してしまっているのではないかと思うのだけれど、それだけでリアリティが2割減というのも残念なことである。

M1 Max on Macs

M1のMacBook Airの底力にさえ触れたことがない感じなので、今のところはそれ以上のCPUコアもGPUコアも必要ない気はするけれど、iPad Pro 12.9インチのミニLEDディスプレイの印象は好きだし、120MHzのリフレッシュレートもいいということを知っているので、現有機のトレードインがあったら買い替えてしまう危険もないわけではない今回のMacBook Proラインアップを眺める。

ローエンドから出発すると、まずコア数の組み合わせでM1の選択肢が5つもあって、26種類のジャムを売る店の売上が6種類しか売らない店の売上に劣るという話を思い出す。M1の歩留まりの選別上の事情とアップセルの最大化の両立を狙うと理屈ではこうなるのだろうけれど、ユーザーには今のところ数の多寡しか判断材料がないので出だしから躓く感じ。

この日から朝方の気温が急激に下がり、これまで保留していた態度を改めるかのように急激に秋が深まる。昨日来の強風で落葉も多かったのだが、紅葉も一気に進むはずである。当地では10度以上の落差となって体感されるのだけれど、例年だとこれに近い変化が9月には起きていた気がする。結局のところ、気温の高い時期が延伸したのが気候変動によってもたらされた結果なのか体感ではよくわからないけれど、引き延ばされた夏を謳歌したのは主に植物で、虫や両生類は引き際を心得ているかのように数を減らしていたような気もする。

COVID-19による死者の列は続いているけれど、新規の感染確認はかなり減っていて、これまでの経験則だと夏と冬にピークのある傾向のちょうど端境の時期にある。普通に考えると、COVID-19は空気感染なのでクーラーや暖房で換気の滞る季節に流行するということだが、マスクを厭わない国民の習性とマスク自体の高性能化の浸透が大きなサポートとなっているのではなかろうか。いつも思うのだが、そういう文脈ではアベノマスクの愚かさは一層際立ち、GOTO政策と合わせ悪意さえ透けるようである。