後日改めて伺います

PEDROが11月17日にZepp TokyoでやったライブがYouTubeでプレミア公開されていて、月が改まれば無期限活動休止なのだとしみじみ思いながらこれを観る。Zepp Tokyoも今年で閉鎖ということであれば、一期一会という言葉を想起せざるを得ない。『透明少女』を歌った動画は今でも時々観るのだけれど、アユニ・Dの成長ぶりはどうだ。同名のアルバムは全曲、作詞・作曲を手掛けているというから、大したものなのである。

コロナ禍のライブは昨今の感染確認の減少を受けて人こそそれなりに入っている様子だけれど、マスクはもちろん装着のうえ、客席からの声はほぼ聞こえず、幕間に拍手というスタイルで観客もやけに行儀がいい。それに呼応して、ほとんど切間なく楽曲が続く構成もパンデミック仕様とみえなくもなく、興行が乗り越えてきた歳月の重みを思う。

騙し絵の牙

『騙し絵の牙』を観る。『罪の声』の塩田武士が、はじめから大泉洋を主役とするイメージで書き上げた小説を原作とした映画。その原作小説は未読。映画としての主人公は松岡茉優が演じていて、大泉洋は真意をみせずに状況を操る編集長の役回りを振られており、ストーリーは字義通りのコンゲームではないのだけれど、妙にそれっぽい雰囲気を醸している。その実、主に会社の派閥争いの話なのである。

出版業界の苦境を題材にして、その旧弊もあわせて描かれるわけだけれど、大作家を演じる國村隼が筒井康隆に似すぎていて笑う。全体に話の筋というよりは、登場人物のそれっぽいキャラクターを楽しむ物語という感じ。松岡茉優はもちろんいいので、そういえばもっと活躍の幅を見ることができていもいいはずだという気分になる。主演映画がもっとあってもいいのではないだろうか。

グリーンランド

『グリーンランド』を観る。クラークと呼ばれる巨大彗星の通過を人々が見物気分で眺めていると、フロリダに落下した一部がタンパを壊滅させる。選ばれし民間人にはシェルターを目指した脱出が指示される展開で、どうやら当局はこの事態を予期していた様子があるけれど委細はわからない。『ディープ・インパクト』なら政府側の隠密計画からExtinction Level Eventの可能性が露見するところを、主人公は夫婦の間に入った亀裂を修復できずにいる民間の建築技師なので、よくわからないまま指示に従って空軍基地を目指し、さまざまな困難に遭遇する。

ジェラルド=バトラーを主人公に配しながらアクション映画というわけではなく、生き残りのためにシェルターのあるグリーンランドを目指すオーソドックスなロードムービーというのがこの映画の正体なのである。『ディープ・インパクト』が『アルマゲドン』に比べると人間ドラマ寄りのパニック大作と評された日々は遠く、同じ事象を扱いながらもはやパニック大作という感じでもなくて、よくわからない事態の進行に戸惑うばかりという気分を扱っているのがパンデミック下のリアリティというものかも知れない。

恐竜を絶滅させた隕石の衝突よりも大きなイベントだというから、地殻津波によって結局は生き残るものはなしという結末を予想していたのだけれど、そこはそれ、ジェラルド=バトラーの映画である。監督は『エンド・オブ・ステイツ』でも組んでいるリック=ローマン・ウォーで、エンターテイメントの定石を踏んだ脚本ではあって、あからさまな伏線は必ず回収されると期待していい。

VOC

ここしばらく、日本のCOVID-19は制圧されたかのような雰囲気で様々な巻き返しが始まったところに、B.1.1.529変異株のニュースである。これまで勢力を拡大したアルファ、ベータ、デルタの変異の特徴を全てもち、直近の勝者であるデルタを圧倒していると聞くともとよりラスボス感が強いのだが、感染拡大ペースの比較グラフを見たところでは立ち上がりが時間軸方向に大幅に圧縮されており、これまでとは印象の異なる指数曲線になっていて慄いている。オランダのスキポール空港では南アフリカからの航空機2機に乗っていた600人のうち61人からコロナ陽性反応が出たというニュースがあって、各国の検疫が急速に強化されているのは学習の成果だとしても、時すでに遅しという感じもまた。

どのような症状が出るのかという情報も十分にない状況ではあるものの、感染拡大が続く限り変異は継続し、拡大する力のある株を蠱毒のように生み出すことになるということを改めて示したというわけである。モデルナは100日以内に対応するmRNAワクチンを開発可能であるとしていて、人類が新たに手にしたこの技術の凄さも確かではあるけれど、実際にはウイルスの拡大と変異の速度に太刀打ちできるスピードとも思えない。この惨禍の出口は、やはり見通せていないのが現在位置ということであろう。

再構築

長らく放置していた設定のあれこれを、きっぱりときれいに片付けるためにWebサーバーの再構築に着手する。そうはいっても今どきのVPSはほとんど手間なく設定を整えてくれるので、セキュリティまわりの面倒な設定を勉強もしながら習得するという感じ。先刻ご承知の通り、いや、それほど大事なデータがあるわけではないのだが、各戸が戸締りをきちんとするというのが斯界のルールということになっているらしいのである。このところ開発系の知識を習得する意欲の波が来ていて、サーバー側のVimでの作業もどうということはないという感じになっているので、コマンドラインの作業が楽しい。この部分のGUI化がなぜ進まないかといえば、実のところ学習コストはそれほど高くなく、効率的な作業ができるからであろう。

もともとテキストベースのコンテンツを無駄に速いサーバーで動かしているところがあるので、GoogleのWebフォントを利用するサイトテーマに変更してみる。スピードをコンマ数秒ほど犠牲にしているところはあるようだけれど、さわらび明朝の癖のある感じが好きである。

インベージョン #8

『インベージョン』の第8話を観る。ロンドンの壊滅状況が描写されるこの回は、しかし話としてちょっと停滞してエイリアンが捉えたと考えられるホシ12との交信の試みが続く。相変わらず不思議な雰囲気の日本パートになっていて事実上、米軍の占領下にある様子で、忽那汐里の日本語もやや怪しいトーンになっている。だが、そこがいい。

アフガニスタンから飛来したトレヴァンテはミッキーとジャミラと邂逅することになる。イギリスに渡っても傲慢なアメリカ人そのものというこのキャラクターは謎の導きによって、ようやくストーリーに貢献しそうな雰囲気だけれど、おそらくシーズン1もあと2話ほどしか残っていないと思うのである。

サイダーのように言葉が湧き上がる

『サイダーのように言葉が湧き上がる』を観る。郊外のショッピングモールを舞台にしたオーソドックスな青春映画だけれど、今風のスマートなキャラクターデザインと、わたせせいぞうか鈴木英人かという背景画が相俟って醸す世界観が、アニメーションの表現にはまだまだ新しい境地があるのだと思わせる。レイアウトも練られた画面は非常に完成度が高く、思春期のコンプレックスやコミュニケーションの難度を、SNSや俳句を使って表現していく脚本もうまい。自由律のリズムがセリフをドライブしてダイアログをつくっていく心地よさがあるのだけれど、これがラップにによって実現されていたとすれば、物語の印象はまるで違ったものになったはずである。俳句という題材の勝利であろう。

主人公の行き場のない言葉が街なかの落書きとして表現されている演出も秀逸ではあるのだけれど、これが心象風景ではなく、タギング行為の結果として設定されているアナーキーぶりはちょっと笑う。エンドロールに落書きは犯罪だから真似しないようにというようなキャプションが出るのだけれど、これが実写であれば、とんだ世紀末風景と映ったはずである。その点でもアニメーションという手法が正しく選択されている。佳作といえるのではなかろうか。

この日、東京都が情報公開で非開示となる内容を、これまでの黒塗りではなく、白塗りの枠付きとするように情報公開要綱を改定していたというニュースを知る。一見すると試験問題のような体裁の検閲済み書類は、しかし非開示部分が多すぎて論文用紙のようにもみえる始末。姑息といえば恥じ入るほどに姑息で、自分の子供には話せない仕事をしている都職員も気の毒だが、これを為す官僚とそのシステムが状況におかれれば、非人間的な振る舞いを平気で行うであろうことは想像に難くない。戦前というのはちょうどこんな風から始まったのではあるまいか。