Phasmophobia

Windows環境はいわゆるゲーミングPCを運用しているのだけれど、ゲームはほぼやらない。にもかかわらず時々、Steamを眺めてセール中のメジャーなゲームを買い求めたりしている。さまざまな娯楽の氾濫によって、ゲームはやって楽しむものから、プレイの権利を留保するためだけの消費財となった。それを指して、ただの無駄遣いというべき状態ではあるものの。

そのPhasmophobiaは幽霊調査員として怪奇スポットを訪れ、幽霊の正体を突き止めるというゲームなのだけれど、どうやらマルチプレイを前提としてオンラインでキャーキャー言いながら楽しむ趣向らしく、出だしから躓く。いやはや。

Git

特に差し迫った必要があったわけではないのだけれど、GitのローカルレポジトリをOneDrive上に設定してVisual Studio CodeからPull/Pushして使うようにしてみる。GitHubを使うまでもない手元のテキストでもGitが使えるようになって、各環境の同期もとれるし、もともと高機能なVisual Studio Codeとその拡張機能を使い切る感じがあって面白い。使いこなすというのは日常の動作に組み込むということであり、日常的にコードを書くというわけでもない用途である以上、いろいろと工夫が必要なのである。というわけで、MarkdownでEmmetも使えるようにしてみる。

この日、東京の感染確認はひと桁を記録したということだけれど、検査数も急速に減少している以上、ワクチンの効果で顕在化しない状況が継続しているのだろうと思っている。マスクを日常的に着用することを厭わない民であるというアドバンテージによって、ここでゼロコロナまで追い込むことができればいいのだが、結局は時間の問題で、熾火が燃え上がるタイミングが来るのではないか。ウイルス自壊という言説が語られるようにもなっているということだけれど、ウイルスが伝播しなければ、現に伝播することができるデルタ株が席巻するだけであり、何を言っているのかよくわからない。希望的な妄想というものであろう。高感度検査で現状を確かめる作業によってのみ有望な仮説を立てることができるはずだが、そうした努力をしているという話を聞かない。

Tokyo Utopia

このところUQiYOをよく聴いている。日本語の歌詞が異国の言葉にしか聴こえないリリックがことのほか好きである。『Somber』は名曲であろう。『東源京』というアルバム名は作りすぎという気がしていたのだけれど、macOSのミュージックが相変わらずポンコツなので、『Tokyo Utopia』という英題しか表示しなくなっている。Montereyには概ね満足しているのだけれど、いつまでも完成度を上げることができずにいるこのあたりの標準アプリの開発体制にはAppleの組織的な課題が凝縮されているに違いない。それはともかく、「雨はただただ降ればいい」あたりの歌い回しは天才的。

ファウンデーション #9

『ファウンデーション』の第9話を観る。わかっていたことではあるが、次週の第10話がシーズン最終話であることが告知されていて、いったんの区切りとはなるけれど、結局はあらかじめ予想された通りに話は収束に向かい、積極的にスケールダウンしようとしているようにさえみえる。

1000年の時の流れを数行で感じさせることができるのが小説の奥行きであるとすれば、4K映像に落としたからといってその悠久を表現するのは至難というわけである。ターミナスのパートが『宇宙からのメッセージ』みたいになっているのが残念なのだけれど、ブラザー・ドーンのくだりはそれなりに緊迫したサスペンス展開で、結局のところ時間的なスケールを視覚的に表現する演出の手法がポイントということになるだろう。その方法を人類はどのように獲得するのだろうか。

インベージョン #6

『インベージョン』の第6話を観る。茫然自失のまま軍の手伝いをしていたアニーシャは我にかえって家族のもとに戻る。幾つもの凄惨な死が描かれ、謎の生物がついに姿を現し、その攻撃性とコミュニケーションの不可能性が理解されて、いよいよ『宇宙戦争』っぽくなってきた。今回は全編、アニーシャのエピソードで籠城と脱出の顛末が語られる。世話になった夫婦の末路は報われず、だいたいこの家族は車を強奪した前科があって、不仲となった夫とのギスギスとしたやりとりで話が進むのかと思っていたのだけれど、辛くも襲撃を撃退したことでその理由を解明するという重要な動機が付与され、待て次回。

MontereyでmacOSにも空間オーディオが実装され、稼働率の上がっていたAirPods Proの左側だけが音を出力しなくなって、ハードウェア的な不具合を疑い、思わず第3世代のAirPodsに手を出しそうになったのだけれど、接続の解除とBluetoothの検出を繰り返しているうち復帰する。危ないところである。

Unlimited

Kindle Unlimitedのキャンペーンをやっていたので、再び入会してみたのだけれど、雑誌の読み放題と同じく、あるいは音楽のサブスクリプションがそうであるように、可処分時間に限りがある以上はいつでも読むことができる権利というようなものを留保しているに過ぎず、結局のところろくに利用することなく存在を忘れている。何しろ、読みたい本はほぼないのが常だし、こればかりは代わりの本を読んで我慢というわけにもいかず、別に買い求めることになるから、速やかに退会することになるだろう。いや、わかってはいたものの。

かえって機会があるのはオーディオブックで、自動車の運転中という時間を消費に充てることができるのが利点といえ、問題はやはり可処分時間の有限性なのである。

巌窟王

Podcastチャンネルとしてはメジャーに属するであろう『This American Life』は購読してよく聴いている。少し前にグァンタナモに訴追もされず14年間、監禁されていたイスラム教徒が解放のあと、かつて自分を尋問した3人の人間と話をするという回があって、企画が成立していることにも驚いたのだけれど、緊迫したニュアンスを遠景に会話が成り立っていることに驚いたものである。そこにあるやり取りを評価することは難しいと思ったけれど、ある日、誘拐され14年を監禁されて過ごす人生のことを以来、ときどき考える。