大晦日

『時間は存在しない』に感銘を受けつつ、とはいえ人間としての時間認識から逃れることができるわけではないのでパンデミック下の1年は瞬く間に過ぎてやがて年が明ける。大晦日は『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読み進めて、巻を措く能わず、しかしまだ読み終わらないうち、2年ぶりに実家に戻ってきているので紅白の途中では坊やがBiSHの出番を教えてくれて、そこだけを確認する。よくできた坊やなのである。やがて日付が変わる頃には遠くに汽笛が聴こえるはずだけれど、その前には寝ているだろう。

この日、沖縄、大阪あたりでは感染確認の増加傾向が顕著となり、正月休暇中の人の移動が増えていることを踏まえると、ほどなく全国でも景色が変わってきそうな段階にある。イギリスでは入院患者の急増が伝えられ、オミクロン株の伝播があまりにも急なので重症化の影響が少ないかのように見えていたのも結局はタイムラグの問題に過ぎなかったということがみえてきた。物理的なキャパシティは指数関数的な増加に対応することが出来ないというのは何も医療機関に限ったことではないので、2022年はさまざまな脆弱性が限界を越える負荷を受けることになるのではないかという暗い予感がある。

2021年に観た映画のこと

前年の大河ドラマ『麒麟がくる』が2月まで続いたこの年、遅い開幕となった『青天を衝け』は、東京オリンピックの強行開催で放映スケジュールが中断されたにもかかわらず、年末に2回の60分拡大枠で帳尻を合わせて最終回に持ち込み、2022年にはどうあっても日常に回帰しようという気概を示した。

とはいえ、オミクロン株の出現によって年明けにはかなりのところまで押し返されるであろうというのが素直な見立てとなっており、事態はそう簡単に好転しないだろうとしか思えない年の暮れ。ワクチンによっていっときはこのパンデミックも収束かという雰囲気もあったからか、世間の半分は開き直っているような気がしなくもないのだが、それがどのような展開をもたらすか、この変異株についてわかっていることが少ないだけに、半年先さえ何人にも見通すことはできないだろう。2021年の終わりはだいたいそのような地点にある。

結局、映画館に足を運ぶことは一度もなく、引き続き配信だけで視聴生活が成り立っていたのだけれど、いつになく日本のテレビドラマを観ていた気がする。そして、Netflixに次いでApple TV+のオリジナルコンテンツもよく観た。オーソドックスな配給を支えるハリウッドのジャンル映画に充てる時間の減少が、いよいよ明らかになった年でもあったと思うのである。

逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!

年の初めは『逃げるは恥だが役に立つ』のスペシャルを正座して観て、もう思い残すことはないという感慨とともにTVerで繰り返し観て、ガンバレと言われれば人類として頑張ろうという気にさえなったものだが、年央でのガッキーの結婚発表である。星野源は呼び方としてガッキーというのはちょっと違う、自分は結衣ちゃんと呼ぶといっていたが、そこはそっとしておいてくれないか。

書けないツ!? ~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~

そしてたまたまTVerで観た『書けないツ!? ~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~』の初回が面白くてこれにハマり、生田斗真もいいけど、山田杏奈は素晴らしいなという流派を立ち上げ、実は長井短という個性を知ったことも収穫で、『武士スタント 逢坂くん!』でも変わらず存在感を放っているのを嬉しく思っていたのである。深夜帯のドラマは侮れない出来のものが多いと認識を新たにしたものである。

お耳に合いましたら。

深夜帯ドラマでは特にテレ東系列である。『お耳に合いましたら。』はポッドキャストという日本ではマイナーなジャンルを扱っている興味で観たのだけれど、それ以上に伊藤万理華という個性の再評価の契機となったことが大きい。松本壮史監督の仕事でもあって、これは好きで観たドラマ。

「僕の姉ちゃん」

Amazonプライム・ビデオで全10話が先行配信となった『「僕の姉ちゃん」』は、テレビ東京系列での地上波放送が2022年という話で、主従の逆転は今後も顕著になっていくのではなかろうか。そういう意味では、テレビドラマというカテゴリの消滅が始まった年として記憶することになるのかも知れない。万物は流転し、その形を変えていくが、黒木華は至高。

俺の家の話、大豆田とわ子と三人の元夫

メインストリームのテレビドラマとしては宮藤官九郎の『俺の家の話』と坂元裕二の『大豆田とわ子と三人の元夫』を挙げるべきであろう。前者は家族の介護という前景のテーマが伝統的な死生観そのものに繋がっていくあたり、特に話の落とし方の凄味に震えた。

『大豆田とわ子と三人の元夫』は『Presence』という象徴的な楽曲の使い方も秀逸で、これは繰り返し聴いたものである。エンドロールを物語に被せる重層的なイメージは奥行きを作っていたし、美術についても細部まで作り込まれた良作だったと思う。

今ここにある危機とぼくの好感度について

名のある脚本家がきちんと重要な作品をものにし、NHKのドラマ制作がそれに応えるという流れはまだ生きている。『今ここにある危機とぼくの好感度について』は渡辺あや脚本の良さがよくわかるように増幅されたようなドラマで、まず役者のいいところもぎっしり詰まっていたと思うのである。現実世界の問題を射程に入れていることが明らかなストーリーが、シニカルでありながら、抑圧された当事者の痛みまで伝える絶妙なバランスと強度を持っているあたりは名人芸と言えるのではないか。

おかえりモネ、まともじゃないのは君も一緒

そして安達奈緒子脚本、清原果耶主演の朝ドラ『おかえりモネ』をNHKプラスで夜に観るという視聴習慣を5月から10月まで続けたのである。思えばこの物語のラストで予感されたコロナ後の世界を、再び見通せなくなった時間軸に我々はいる。成田凌とのダブル主演となった『まともじゃないのは君も一緒』も観て、清原果耶の演技の振り幅に感心したものである。

この茫漠たる荒野で

2月にNetflixで観た『この茫漠たる荒野で』はトム=ハンクス主演で、南北戦争後の変わりゆく時代を背景にしたロードムービー。ポール=グリーングラスが西部劇を撮るという期待に応える出来といえ、国民国家の分断という現代的なテーマを引き込んで非常に見応えのある作品になっていた。映画としては2021年のベストといえるかもしれない。

フィンチ

そして11月にApple TV+で観た『フィンチ』もトム=ハンクスによるロードムービーで、こちらは太陽フレアにより終末を迎えた世界を舞台にしたポストアポカリプスものだったけれど、気候変動と否応なしの行動抑制という今日的な話を内包し、何しろ犬の話でもあって泣く。

パーマー、オン・ザ・ロック

Apple Originalの映画では『パーマー』が再生の物語として、『オン・ザ・ロック』がいかにもA24という雰囲気のコメディとして、それぞれよく出来ていたと思うのである。佳作というべき作品が、まず配信に現れるというのは仕方のない流れではあろうけれど、これでは単館が成り立たなくなるのも不思議はない。パンデミックと巨大資本の挟み撃ちにあっては、いったいどうすればよいのか。

ファウンデーション

そしてAppleは今さら『ファウンデーション』の映像化にさえ取り組むというのである。アシモフには考慮外であったダイバーシティへの目配りも行き届かせて、それなりにクオリティの高い映像化ではあったけれど、物語の複雑さは如何ともし難く、既にして視聴者の多くが振り落とされているのではないという懸念もなきにしもあらず、Netflixでは『カウボーイ・ビバップ』実写版のセカンドシーズン制作中止というニュースもあったけれど、Apple TV+における制作姿勢の試金石になりそうな気がしている。

インベージョン

同じApple Originalの『インベージョン』は名の知れた俳優はサム=ニールだけで、しかも撒き餌のように第1話で退場という、地球が正体不明の生命体の侵略を受けるという壮大なテーマのわり、大作ではなくキャラクター志向の渋い物語で、タルコフスキーSFの雰囲気を汲むようなところもあって気に入った。忽那汐里が頑張っているので応援しなければならないと思っているのだが、『ファウンデーション』以上に続きが心配な感じでシーズン1完結となっている。

ゴジラ シンギュラポイント

SFの収穫として筆頭に挙げなければいけないのは、何といっても『ゴジラ シンギュラポイント』で、予告編で想像していたより数段上の出来栄えであったことは間違いなく、円城塔の脚本とボンズのアニメーション演出の幸福な融合に感嘆したものである。量子的な宇宙においてAIが人間原理を超越する特異点を超えたらどうなるかというテーマは、ゴジラが添え物にしか見えないほどに壮大で、実はこのあたりのバランスが絶妙に寄与していたのではなかろうか。円城塔のSF作家的野心の勝利という気がする。

ゴジラvsコング

レジェンダリー・ピクチャーズのモンスター・ヴァースはこれを支持する立場なのだが、『ゴジラvsコング』はちょっと微妙な線に来ていて、かつての東宝ゴジラと同じ轍を踏むのではないかと危惧するに至る。ゴジラは物語に位置づけると存在自体が特異点となり、それを上回る物語の強度が必要になることを『ゴジラ S.P』は示したのだけれど、定型を旨とするジャンル映画の方法ではこれに太刀打ちできないと思うのである。

TENET

伝統的なハリウッドの大作では、本当のところ劇場に足を運びたかった『TENET』をしかし配信で何回か観て、さまざまな作家と世界観の多様性が、実に人生を豊かにしていると当たり前のことに感動したのである。この描写をCG抜きで表現したいという価値観が、いよいよ意味をもつほどにコンピューターグラフィクスの技術も進化しているがゆえに、この作家性は尊い。

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』は劇場公開の終了と同時にAmazonプライム・ビデオで配信ということになって、配信優位どころか、その新たな経済性の文脈すらよく理解できないでいる。

作品としては、この完結編は当方には満足なもので、四半世紀ぶりくらいに『VOYAGER』を聴いたし、庵野秀明を追った『さようなら、全てのエヴァンゲリオン』も観て、結局はこの監督自身への関心が大きいのではないかとすら思ったものだが、偉大な作品とはそういうものであろう。

グリーンランド、ドント・ルックアップ

巨大隕石の落下が文明の終焉をもたらす映画が好きである。今年はやや当たり年となって、一方の『グリーンランド』は実態としてはロードムービーだったとしてもその終末の雰囲気を楽しんだ。年末に来ての『ドント・ルックアップ』はその不足を埋めるかのように地殻津波の到来まできっちり描き、今ここにある危機のイメージまでコラージュすることで、現在進行形の滅亡を想起させる秀作だった。たぶん、制作が意図するほどスラップスティックに見えてこないのは、リアル世界の状況がシャレになっていないからである。

明日への地図を探して

タイムループものというのも既に手垢のついたテーマとなってしまっている気がするけれど、どんなジャンル映画にもときおり佳作が現れるものである。『明日への地図を探して』は感じのよいロマンスで、こうした拾いものが時々あるから映画探求にも果てがない。

海街チャチャチャ

韓流ドラマは既に継続的に観るべきものとなっていて、キム=ソンホとシン=ミナの『海街チャチャチャ』はこの秋の楽しみとなっていたのである。『イカゲーム』も一応、観たけれど、このデスゲームものが各国で大ヒットというのはちょっと理解を越えた話で、正統のツンデレ展開である本作の方がわかりやすくないですか。そうですか。

その年、私たちは

そして目下、プロダクションのレベルの高さに唸りつつ、年跨ぎで『その年、私たちは』をの配信を心待ちにしている。映画へのオマージュや作中作の構造もある本作には、好きの要素がぎっしり詰まっていて尊く、2022年を代表する韓国のドラマにもなると思っている。

DEATH TO 2021

そして今年の締めくくりも『DEATH TO 2021』で分断と対立、パンデミックと気候変動の深刻さを再確認して事態は来年に続く。

返校

『返校』を観る。ヒットを記録した台湾製のホラーゲームをもとにした実写映画。1962年、戒厳令下の台湾での国家による言論への弾圧を題材にしている。当のゲームはiOS版をやったことがあるけれど、封鎖された学校という異様な舞台装置をよく再現して作り出されたダークファンタジーっぽい画面はかなりよくできている。全体に美術のレベルが高い。

息苦しい日常を導入として、始めから暗い予感しかない物語ではあるのだけれど、前半は怪異と異様な状況によって駆動される話が、嫉妬や裏切りへの疑心といった人間性の内なる恐ろしさに自然とつながっていく物語の展開は見事。顔のない怪物に呼応する憲兵はバイ教官を除いて個性が書き込まれないものとして描かれているあたりにみられる細かい演出がよく機能しており、全体のかたちのよさを作り出している。映像のイメージは芳醇だし、メッセージは明確で、ジャンルとしてはどこまでもホラーでありながら、名作というべき奥行きがあるといえるのではないか。ラストシーンでの物語の閉じ方もいい。

耳を塞ぎ、何も考えず、忘れることで生きろと国家が仕向ける状況は、例えば今の香港が顕著な表現型であるけれど、腐敗政治とジャーナリズムの堕落もまた白色テロルに至る過程にあるというのは歴史の教えるところである。本邦の現状はだいたい、その終盤に差し掛かっているのではないか。

さすらひ

PEDROの活動休止前最後のシングルとなる『さすらひ』を聴き、いつもと少し違うボーカルがやけに染みると思ったのだけれど、『感傷謳歌』と内容で対をなすそのMVをみて感傷的になっている。泣ける。今にして思えば、BiSHの最後の1年に全力投球するための活動休止でもあるので、後日改めての再開もさほど遠い未来ではないような気もするのだが、約束されたものなど何もなく、今ここだけを生きるのがバンドというものであろう。『さすらひ』のMVはその感じがとてもいい。

『岸辺露伴は動かない』の新作を観ている。三夜連続の初日は『青天を衝け』で渋沢栄一の孫、敬三を演じた笠松将が出ていて、目につき始めると気になる現象に囚われている。

DEATH TO 2021

Netflixで『DEATH TO 2021』を観る。去年の大晦日に2020年版を観たのが、パンデミックの始まりの年の締めくくりとなったわけだけれど、今回も同じ登場人物が相も変わらない分断と二極化、それが引き起こす絶え間ない対立と口論をほぼ事実のまま、しかし自ずから出来の悪いフィクションのように見せて乾いた笑いを誘う。結局のところ、2020年に人々が何も学ばなかったことが2021年の学びだということになっていて、大筋として合意せざるを得ない。やれやれ。

ヒュー=グラントの演じる歴史学者テニソン=フォス Officer of the British Empire はその隠しきれないレイシズムと階級意識によって英国王室さえ笑いものにしているわけだけれど、全編を通じこの世界からは中国の存在が消えており、シャレの通じない大国の影がその不在によって浮かび上がる。ブリティッシュ・ユーモアさえ扱いかねるのだから、画面の外の現実は一層、厳しい。

今年の出来事として、もちろん東京オリンピックも僅かに扱われているけれど、無観客の空疎なビジュアルでほぼスルー。これはだいたいこんなものだったかもしれない。

昨年は締め括りにコロナワクチンの登場を伝えてやや明るさもあったのだが、今年はその焼き直しとなって絶望感はいや増す。オミクロン株の登場にまで触れ、この年の瀬に編集は頑張っているにして、気候変動がじわじわと人類の生存を脅かす状況を基調として明るい展望はないというのが本年の結論でよろしいか。

ブロジェクト・ヘイル・メアリー

『青天を衝け』の最終回を観る。今年の大河は視聴習慣だけで観続けたという感じなのだけれど、終盤は吉沢亮がぜんぜん老けていかないのが面白くてある意味で目が離せない展開。喜寿を越え、91歳で没するところまでが描かれたけれど、このあたりの演出は大変だと思うばかり。孫の敬三視点からの語りでフィナーレらしい雰囲気のある最終話となったが、これを演じた笠松将がちょっといい。

もうすぐ本年の営業も終了なので、年末に向けて『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読み始めている。『火星の人』のアンディ=ウィアーの新作なのだが、主人公が物理学の基本的な素養を応用して謎を解明してく展開は、この処女作の面白さを想起させる展開で序盤から期待は高まる。『アルテミス』はいまひとつ乗れないところがあったのだけれど、過去の経緯のフラッシュバックを使いながら状況を説明していく展開もいい。映像的な面白みもあって、このまますぐにでも映画化されそうな雰囲気がある。もったいないので序盤は『NOISE』と平行で少しずつ楽しむつもり。

注文していたM1 ProのMacBook Proが届く。発注からほぼ3週間というところだけれど、電子部品の逼迫と物流の混乱を考えると、さすがにAppleは強者である。当方の使い方ではM1 MacBook Airが最適解であることは間違いないとして、若干リバイバル感のある弁当箱スタイルの新デザインが好きである。

静かなる海

Netflixで『静かなる海』を観る。主演級にペ=ドゥナとコン=ユを配した全8回のSFドラマ。水が希少資源となった近未来、放射能事故で閉鎖された月面基地から正体のわからないパッケージの回収ミッションを命じられた一隊が、シャトルの不時着という困難を乗り越えて基地に辿り着くが、想定していた状況とは様子が異なっている。

月面基地の謎や隊員を襲うアクシデントは、SFサスペンスに期待される水準をそこそこ満たしているとは思うけれど、韓流SFにありがちな雰囲気先行の感じは否めなくて、画面から月面の雰囲気を感じることはほぼない。言っても仕方のないことではあるけれど、考証としてはいろいろどうかと思うのである。時代の閉塞を反映してキャラクターは陰をまとい、最後までそんな感じ。やや中弛みはあるし、結末のつけ方もこれはどうなのか。年末年始に時間があれば観ればいいという感じで、積極的には勧めにくいシロモノではある。まず、『ドント・ルックアップ』を観るべきであろう。