スワン・ソング

Apple TV+でApple Originalsの『スワン・ソング』を観る。Mahershalalhashbaz Ali改めマハーシャラ=アリが主演の近未来SF。タイトルの通り、美しく終わりを予感させる静かなリズムで物語はすすむ。美術もそれに応じて洗練されたもので、高度に設計された画面レイアウトと相俟って美学を感じさせる。正味な話、画面がいちいち美しいので、それだけでも観る価値があるが、全体の物悲しさとラストシーンがいい。

一線を画しているのはテクノロジーデザインで、身の回りの電子機器のデザインはフラットなミニマルデザインの極北とも見える完成度の高いもので、レイトレーシングをGUIに応用し巨大なGPUパワーを活用していく方向といいうのは結局、こういうことになるのではないかとさえ思わせる。『マイノリティ・リポート』がコンピューティングの未来像として参照されていたこともあったけれど、これは新たなリファレンスになるのではなかろうか。

市中感染

この日、オミクロン株の国内における市中感染についての報道が錯綜する。官房長官は空港検疫を経て濃厚接触者が特定されていることをもって市中感染ではないという見解だが、空港検疫をすり抜けて発症していることが事実である以上、市中感染は早晩、拡大するだろう。関連する濃厚接触者が天皇杯サッカーを観戦していたという情報もあって、まず、時間の問題なのだから、現状否認をしている場合ではないのだ。イギリスでは一日の感染確認が8万人近くとなり、これまでの記録を塗り替える。これらが軽症にとどまるという証拠は特にないというのが現在の景色で、仮に入院に至る割合が比較的に低かったとしても、その感染スピードにより医療は圧倒されるだろう。さすがに誰もそのことがわかっていて、現在のところ、状況のやり直し以上に明るい見通しがあるようにはみえない2021年の暮れ。

年末年始の休暇に向けてアンディ=ウィアーの新刊『プロジェクト・ヘイル・メアリー』、合わせて逢坂冬馬の『同志少女よ、敵を撃て』、ついでにダニエル=カーネマンの『NOISE』を買い求める。ウィアーとカーネマンは上下分冊なので都合5冊、どれも早川書房の近刊なのだが、読書傾向はもともとそんな感じ。『同志少女よ、敵を撃て』から読み始めているのだけれど開巻、大木毅の『独ソ戦』が引用されていて、まず読書というのは網の目のようにつながっていくのである。

改竄

2009年のギリシャの財政統計改竄はギリシャ一国の没落に駄目を押しただけでなく、欧州全体の経済危機の引き金となったが、本邦もいよいよ基幹統計の改竄が発覚して、斜陽に拍車をかけるだけでなく、亡国の淵を覗こうかという状況にある。ことは「不適切な取り扱い」などという話ではなく、その方法の指示までともなった省をあげての組織的な改竄であり、タイミングからして「アベノミクス」の一環としてこれが行われたのだから闇が深い。それでなくとも長らくぱっとしない我が国のGDPは不正な水増しをしてなお、この体たらくだったことが明らかになった。発表される数値が国民生活の実感に沿わないといわれるのにも妙な裏付けがとられた格好で、そもそも不明瞭といわれていた統計実態もだいたいこんな感じということだろう。まず、海外の資金が逃避して危機の引き金となることも考えておかねばならぬ。これを亡国の仕業といわずして何なのか。

この日、赤木事件の国家賠償訴訟も請求を認めるかたちで決着となったが、新しい政権は安倍一派の悪行を否定しないことによって自らの権力基盤を強化しているようにみえる。これも権力闘争の一形態であろう。その隠微な過程はそもそも法治国家のあり方ではないし、この悪行のツケは万死を求めたくなるほどに大きくなるだろうから、もちろん責任を追求せずに済ませる話ではないのである。

僕が君を嫌いな10の理由

『その年、私たちは』のエピソード3を観る。第1話から第2話だけでも傑作だと思っていたけれど、第3話もまた素晴らしい出来で、この脚本と演出のクオリティで全16話を完走するとしたら大変なことだと思うのである。恋愛映画の濃いところをうまくコラージュしたところがあって、参照している映画の雰囲気も感じるけれど、役者の仕事とキャラクターの魅力はそれを立体にして目が離せない。ポテチとポッキーの組み合わせと同じく、しょっぱいと甘いの繰り返しで無限に食べられる美味の道理により画面はダレず、話に飽きない。重要な要素である時間の扱い方とその表現は絶妙で、全16話を完走したら大変なことだと思いつつ、しかしこの制作であればシリーズ構成も周到に考えられているに違いないので、全体として大変な傑作になるであろう。この年の瀬にしかも年跨ぎで、高評価となる作品が出たものである。最高だ。

先週末、竜巻の群れがアメリカ中西部で発生して甚大な被害を与えたけれど、これまで何度も触れてきた『デイ・アフター・トゥモロー』で描かれたような気候変動のひとつの表出だと思っている。新たな変異株の出現でパンデミックの先行きは見通せず、インドネシアでは火山活動に加えてM7クラスの地震が起きて、本邦の地震活動の活発化も傾向的に継続している。ロシアのウクライナ侵攻準備とそれを牽制する動きで国際政治の緊張も高まっていて、この年末、どちらかといえば世界は世紀末の様相を呈してきた。

2021年をあらわす今年の漢字に「金」が選ばれたそうである。日本漢字能力検定協会の役割といえば、どうやら最多得票を集計するだけという話なのだが、2000年以降、「金」が選ばれるのは四回目のことであり、漢字のバリエーションの幅広さを考えると、日本人の思考の幅は危機的に浅薄になっているのではあるまいか。批判的に、これをカネと読むということはあるとしてもだ。

そして今年もあと2週間。年末年始はまとまった休みをとるつもりなのだが、休みは始まれば一瞬で終了するのが明らかなので、休みが楽しみという状況を楽しまねばならない状況にある。

時間は存在しない

カルロ=ロヴェッリの『時間は存在しない』を読む。ループ量子重力理論の提唱者のひとりである筆者が、超弦理論と双璧をなすループ量子重力理論の眼目のひとつでもある時空とは何かということについて非常にわかりやすく語っている。一方の超弦理論がそれを所与としていることに比較すると、一頭地抜けているという印象があるけれど、その優劣はもちろん凡人の理解するところではない。文中、量子重力理論において超弦理論と競っているという点には言及があって、その決着は遠からずつくのではないかと述べているあたりに自信が垣間見えると思うばかりである。

無論のこと内容は高度に抽象的ではあるのだけれど、ループ量子重力理論が時間を特権的な変数として扱わずに世界を記述するものだということは理解できるし、その言おうとしているところも何となく感じられる書き振りで、しかし数式はエントロピーを記述するのみと徹底的に排除されているあたり、科学啓蒙書としては恐ろしく優れていると思うのである。人類はここまで来たとさえ。そして、世界の成り立ちを考える体系であればこそ、人とは何か自己とは何なのかということを深く考えずにはおかないのだということもよくわかる。

プロスペクト理論がそうであるように、コペルニクス的な展開をもたらすほどの理論というものは、人間そのものを再定義してしまうようなところがあって、それは拒否反応すら呼び起こしかねないものではあるけれど、筆者はそのケアにもページを費やしていて何だか慰められたような気分になる。存在はものとしてあるのではなく、関係性にあるというのは、仏教なら因果と縁というものであって、世界を説明する言葉があらかじめ用意されていることには驚くばかりである。

町田くんの世界

『町田くんの世界』を観る。原作の漫画は未読。高校を舞台にした恋愛要素のある物語ではあるけれど、主人公の町田くんはいわばアンチヒーローとして設定されている。勉強もできなければ運動神経も鈍いのだけれど、ひたすらに前向きでいい人というキャラクターによって物語を駆動する。町田くんに関わることで皆が心を開いていくという、ある種の聖者伝説としての物語類型をもっているので、話は古典的だとしても骨格が太く、世界の肯定というテーマにはシンプルで原初的な感動もある。

若い主演の二人の周りを芸歴の厚い布陣で固めるキャスティングは意図的なものだろうが、例えば前田敦子や高畑充希が高校の同級生や後輩の役なのだけれど、特に違和感も感じずハマっている感じがするのは実に大したものだと思うのである。一方、結末の展開はファンタジーに寄せないほうがよかったのではないかという気がしてならない。聖者が起こす奇跡が世界線から外れている必要はないし、ちょっと尺を取りすぎではなかろうか。