久しぶりに映画館まで出かけて『シン・ウルトラマン』を観る。パンデミックで遠ざかってはしまったけれど、いうまでもなく、映画館での鑑賞体験はいいものである。空想特撮映画とのタイトルとともにはじまる本編は、冒頭の90秒で「禍特対」設立の経緯を語る情報量の多いもので、思わず居住まいを正す。ゴメス、マンモスフラワー、ペギラ、ラルゲユウス、カイゲル、パゴスと六体もの敵性大型生物を撃退する流れは、さしずめ『ウルトラQ』に相当する世界の構築でなかなか凝っているのである。
科特隊ならぬ通称「禍特対」にはオレンジ色のジャケットも検討されていたそうだけれど、スーツ着用でリアリティ側に倒したのは『シン・ゴジラ』の成功を解釈した結果といえ評価出来る。官僚システムが駆動する様子はないとして、「外星人」がやってきて政治的手法で浸透しようというアイディアには盛り上がる。本邦が米国の属国であるというセリフを差し挟んで何らフォローなしという世界観は、B-2の本土爆撃のシークエンスとともに正しく『シン・ゴジラ』と通底している。
カラータイマーのないウルトラマンのデザインは、成田亨画伯の作品をそのまま想起させるものではあるけれど、こちらとしては同時に小林泰三の『AΩ』を思い起こしていたのである。その作者も、存命であれば本作を大いに喜んだに違いないのだが。
本編ではメフィラス星人に巨大化させられるメンバーという頓狂な流れも再現されていたけれど、そこを膨らませるのかという意想外の文脈が縦横に広げられていくあたりは楽しい。そして、例の「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」というコンセプトも、エヴァンゲリオンを同列に置くのはさすがに無理があるのではないかと思っていたけれど、ゼットンの造形をみるとその違和感さえ薄れてくるから空想の力というのは素晴らしいものである。