スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を観る。ながらく課題図書には上がっていたのだけれど、古参としてはハン・ソロがあっさり死んでしまったあたりでひと区切りついてしまったという気がしていたのである。

いわゆるシークエル・トリロジーの登場人物も嫌いではないのだが、物語はインフレ気味に膨張して、その実は反復であったという気がしなくもない。帝国のテクノロジーには必ず急所がが存在するのだが、中央集権的なシステムの弱点のアナロジーだとしても、やや安直ないつものパターンに堕していたみたい。長尺には違いないとして、何しろ話のスケールが大きいので困難も都合よく片付いてしまう傾向が隠せない。『最後のジェダイ』は展開をわざと捻っているようなところがあったけれど、J=J・エイブラムスに監督が戻ったからか、こちらはそのままの展開なのである。

そして最後は、もちろん共和制的な価値観が勝利するのだが、トランプの時代を経た後にかつてと同じ図式を再現しても、ことはそう単純に映らないのではなかろうか。1月6日、連邦議会を占拠した人たちも、自らを抵抗軍になぞらえていたからには。