交戦

このところオデッサに住む邦人のWeb日記を読んでいる。大使館からの避難勧告を理解した上で現地にとどまる日本人は、たとえばアメリカの報道が伝えるほどの切迫感をもって状況を捉えていないが、米国の外交的なシグナルが、偽装作戦を口実に侵攻を正当化しようとするロシアに対する牽制をも狙っているとすればそのメッセージが誇張側にあるのは当然で、現地の目線とプロパガンダの中程に現実の転がっていく線はあるのだろう。

どうでもいいが、今どきWeb日記で情報発信をする人種には親近感を感じざるを得ない。

そしてこの日、ロシアからは国境を越えたウクライナの歩兵戦闘車を撃破したというニュースが伝えられ、ついに事実上の戦闘状態と言える状況が到来する。それがロケット弾による攻撃よりも深刻な事態かといえばまだわからないが、これをエスカレートさせるかどうかが事態を決定的に方向づけるだろう。

鎌倉殿の13人 #7

『鎌倉殿の13人』を観る。坂東の暴れ馬、と呼ばれたことはない上総介広常をめぐる回だけれど、梶原景時が何故、頼朝を助けたのかというその理由が、幾重にも持ち出されて物語を動かしていく。序盤のハイライトというべきこのエピソードに大きな意味を与える、その納得の作りかたは相変わらず素晴らしい。

悪禅師こと阿野全成が登場して大暴れかと思いきや、とんだコミックリリーフでひとしきり笑う。これにやがて実衣が嫁ぐことになるというわけである。江口のりこが明らかなチョイ役というのも、さすが大河ドラマ。やたら首を刎ねたがる坂東武士の荒々しさが唐突に顔を出すあたりもまことにいい。

Macでは純正の日本語入力をつかっていたのだけれど、思い立ってGoogle日本語入力に変更してみる。ライブ変換が好きなのだけれど、正直それほど賢いというわけではないのはわかっていたことである。Google日本語入力はWindowsで使っているのでその使い勝手もよく見知ってはいたのだけれど、実際に置き換えてみると思っていた以上に差は大きく、これまでは一体、何だったのかという気持ちになっている。道具というのは機能ではなく、まず基本性能で選ぶべきであるとわかってはいたものの。

この日、3月6日に東京マラソンが実施されることになっているという話を知ってびっくりしている。これまでの議論や判断の積み重ねは、いつの間にかなかったことにしてアレはアレ、コレはコレでは物事に進歩など望めないであろう。東京オリンピックという愚行の延長という意味では一貫性もあるのかもしれないが、この国は以前の緊急事態宣言は何だったのかという状況にあって、なお先の見通しもないのである。

イカロス

『イカロス』を観る。ランス=アームストロングのドーピング事件のあと、アマチュア自転車選手のブライアン=フォーゲルがドーピング検査が無意味であることを証明しようと自らドーピングを開始する。『スーパーサイズ・ミー』のドーピング版のように始まるドキュメンタリーだが、ドーピングテスト通過の指南のためにロシアの反ドーピング機関の所長グレゴリーを紹介されたことで、話はあらぬ方向に転がり始める。ロシアにおける国家ぐるみのドーピング疑惑が持ち上がり、切り捨てられたグレゴリーが渡米して国の関与を暴露する後半は政治スリラーの様相となる。アカデミー賞のドキュメンタリー部門を受賞している本作だが、その巡り合わせの数奇には思わず観入る。

ことはロシアの闇の話に終わらない。ブライアンが最初に相談をもちかけるUCLAのオリンピック分析研究所の創始者は、反ドーピング機関所長の知識がその禁止に使われているだけではないということを明らかに認識している様子なのである。国ぐるみ組織ぐるみの不正とその隠蔽が、IOCとあらゆる関係者にとって骨絡みのものになっていることを疑わせずにはおかない状況の証拠が積み上がっていることは、既に我々の見知っている通り。グレゴリーの愛読書が『1984』であるというのも、事実は小説よりも奇なりという感慨を呼ぶけれど、むしろ我々が小説の予告した未来に生きているのである。

二重思考という用語を用いる場合とても、二重思考により行わねばならぬ。その言葉を用いるだけでも、現実を変造しているという事実を認めることになるからだ。そして二重思考の新たな行為を起こすことでこの認識を払拭する訳だ。かくて虚構は常に真実の一歩前に先行しながら、無限に繰り返される。

ジョージ=オーウェル『1984』

折りしも、ロシアのウクライナ侵攻が懸念されている時間帯にあるが、ソチオリンピック直後のクリミア併合とその後の支持率の回復という成功体験が、同じ道を選択させても不思議はない。今回の震度は、もっと激烈なものになる。

ストーリー・オブ・マイライフ

『ストーリー・オブ・マイライフ / わたしの若草物語』を観る。しっかり『若草物語』でありながら、モダンな価値観で全編を構築した監督・脚本のグレタ=ガーウィグの仕事は偉業という他なく、『若草物語』と『続 若草物語』を行き来しながらメタな構造までもち、しかも違和感なく繋がれた画面には感心する。演出の仕事も細部まで行き届いているのである。

シアーシャ=ローナンは『レディ・バード』に引き続きこの監督の作品を主演して名声を高めたが、その仕事ぶりは賞賛に値し、キャリアを積み重ねているのは嬉しい限り。エマ=ワトソンはもちろん、フローレンス=ビューもいい。キャストも旬揃いで見どころの多い映画なのである。135分の『若草物語』がこれほど面白いとは、己が不見識を恥じるほかない。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『悲愴』の第2楽章が使われるのはちょっとベタだけれど、他はないとも言える。

我らの罪を赦したまえ

『我らの罪を赦したまえ』をNetflixで観る。14分の掌編だが本格的に作り込まれた映画で、ナチスドイツにおけるT4プログラムを題材にする。障害者の虐殺政策として知られるT4を扱っていることは、社会的弱者を敵視する政党が本邦においても幅を効かせている状況であれば時節に適い、見応えがある。アテンションスパンが短くなっていると言われる当世であれば、こうした短編映画がもっとあってもいいし、配信サービスはプラットフォームとして最適だと思う。

冒頭、「社会の倫理観は子供の扱い方にあらわれる」というディートリッヒ=ボンヘッファーの言葉が引用される。物語としては、そのまま障害をもつ子供の運命を扱っているが、善を選ぶことが不可能な状況下において人間がどのように振る舞うべきかという主題をも射程に入れているということであろう、そのタイトルの通り。特に開巻5分の緊張感は居住まいを正すもので、間然するところがない。

Wordle

WordleをGoogleで検索すると、GoogleのロゴがWordle表示になるほど一世を風靡している様子だけれど、後れ馳せながらこのゲームを始めてみて、やっぱり結構、面白いので感心している。もちろん、こちらといえば辞書と正規表現を使うことを厭わないチーターではあるものの。ひとつひとつは見知った要素の絶妙な組み合わせ、この完成度こそ、新たなサービスの創造をインスパイアするに違いない。大したものである。

この日、基礎疾患なしワクチン2回接種の10代男性が亡くなったというニュースが伝えられる。昨日に続いて全国では200人を大きく上回る数の死者の数で、今のところ減少に転じる見通しはないということになる。

デカップリング

経済の場合は特にそうだが、デカップリングの主張はよくよく疑うことにしている。COVID-19対策を完全撤廃したデンマークが、感染と重症者数のデカップリングを持ち出した時にもホンマかよと思ったものだが、かの国では死者が指数関数的に増加し、同国の優れた疫学的検査体制はBA.2の拡大とそのさらなる亜種の出現を検出する。本当に重症者が増えないというのであれば、死者はADEによるものだろうか。ワクチンはそれだけに頼ることができるほどのものではないということではないのか。何しろ高齢者と同じく、乳幼児の入院が増えているというのだから、これは望んだ展開ではないということでよろしいか。

プースター接種率が6割の国でこうなのだから、同じ戦略は選択できないということだと思うのである。季節性の減少を交えつつ、結局のところ来年も同じことをやっているような気がする。

もうひとつのブラックスワンとなりうるウクライナでは、演習を終えた部隊の基地への帰還をロシアが知らせるけれど、その基地はよりウクライナ寄りにあるという情報もあったり。16日がひとつの分水嶺と目されていることもあって、こちらもまだまだ安心できない。