諸行無常

地震の影響で先週の配信が滞っていた『平家物語』を最終話まで観る。物語はいよいよ壇ノ浦の戦いを語って閉じる。短い尺に義経が梶取を射ることを命じる場面まで盛り込んで、さまざまな説を巧みに踏まえた決戦を描いている。名を惜しむというキーワードによって、なぜ、徳子が生き残ったのかというあたりが説明されていると思うのだが、どうか。

全体にクオリティの高い作品で、これと『鎌倉殿の13人』が重なる時代を扱っているのはもちろん偶然として、夏には同じ古川日出男の『平家物語 犬王の巻』を原作として野木亜紀子が脚本を書いた『犬王』が控えているので、このあたりが2022年の基調となっていくであろう。諸行無常。

良識

この日、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会で演説する。そのメッセージは日本に出来ないことをわきまえ、戦後にまで射程をのばした内容で、やはりこのあたりの外交センスには侮れないものがあると評価を上げている。

プーチンがあの調子で、駐日ロシア大使館のツイートも完全に常軌を逸した陰謀論者のようになっているから、かの国が同じ舞台に立ったとしても人心の離反を招くだけが結果であろう。侵略者に今さら浮かぶ瀬はなく、外交においては、もちろん既に決着はついている。

対立の構図を欧米との間に絞りたいロシアからすると、アジアで積極的な制裁を表明している日本は目障りな存在ということになる。日本の対米従属は基本路線として、かの国の独裁者と同じ夢をみていたアベの影響力を排除したい現政権からすれば対露強行路線の先鋭化はチャンスでもあって、やはりこの侵略は各国で内政の政治力学をも大きく揺るがすものとなっている。世界経済は年央にかけて後退の可能性が高まっているだろうから、多くの国の将来をも変えることになるだろう。

電力需要逼迫警報

関東と東北はさきの地震の影響で発電所が停止している状況に折からの冷え込みが重なって、電力供給が需要に追いつかない見通しとなり警報が発せられる。案の定、国内の原子力発電所が停止しているからだというツイートも湧いて出るが、地震で停止を余儀なくされるのは原発も同様であろう。対外的に好戦的な部族がこうした主張と重なりがちだと思うのだけれど、ザポリージャやチェルノブイリの現状をどのように消化しているのだろうか。

夜になって停電の見通しは回避されるが、午後は電力使用率も100%を越えていたようだから、現場は綱渡りの状況であったに違いない。揚水などで発電の時間差をつくる工夫がこれを可能にしているのだろうけれど、EVの普及にともなって蓄電が家庭でも行われるようになる。パワーグリッドの先行きは面白いのではなかろうか。

『恋せぬふたり』の最終話を観る。多様性と包摂の前に、自らの呪縛を解かなければならないというのが本邦のイマココであることを再確認する話ではあるけれど、必要な作品であったということだろう。本作をメルクマールとして、これ以降として分類される物語が続くことになる。

ドライブ・マイ・カー

『ドライブ・マイ・カー』を観る。40分を過ぎたところでタイトルバックが入ってきたのには驚いたけれど、179分の長尺であればそういうこともある。インターナショナル版とのことだが、特にドメスティック版というものはないみたい。

村上春樹の原作ということで期待される雰囲気と、濱口竜介監督の映画の方法は非常に相性がよく、村上春樹なのかチェーホフなのかというところはあるとして、3時間の尺も特に長くない。よく設計された画面は均整がとれているという以上に文脈を感じさせるもので、映画として高い評価を受けるというのも納得がいくのである。通好みという印象はある。

とはいえ、ダイアログさえ通り越してテキストそのものを重視する演出については、舞台稽古を題材として劇中で説明されているし、「私にとって言葉が通じないのは普通のことです」というセリフが配置されていたり、頬の傷がわかりやすい象徴として使われていたり、あれこれ至れり尽くせりという感じで難解なところがほとんどないのには好感がもてる。

いろいろと腑に落ちる演出ではあるけれど、北海道の雪道をノーマルタイヤで走っているのではないかという点については、ちょっとひやひやしたものである。多摩ナンバーのサーブがあらかじめスタッドレスタイヤを装着しているという設定はあるだろうか。いいけど。

鎌倉殿の13人 #11

もちろん、引き続き『鎌倉殿の13人』を観ている。第11回にして頼朝は鎌倉殿となる。チョイ役になぜ江口のりこと思っていたら、時政と頼朝の確執を表面化させる重要な役回りで回を追うごとに存在感を増し、まずお見それしましたという他ない。

前半にコメディパートが多いと、だいたい善児が登場して凄惨な歴史の闇を見せつける展開だと予想が立つのだが、今回もその通り。義円は速やかに退場することが分かっていたけれど、同母弟にあたる義経を絡めた物語の作り方の巧みさは、やはり大したものである。史実定説を弁えつつ、それに執着するわけでなく、腑に落ちる人間関係を構築していく三谷幸喜の仕事ぶりは円熟の域にある。面白い。

この日、市民が避難しているマリウーポリの学校が爆撃されて数百人の被害が出ているらしいことが伝えられる。

その瞳に映るのは

『その瞳に映るのは』を観る。ナチス支配下のデンマークで、英国空軍によって行われたゲシュタポ司令部への爆撃。そこで起きた寄宿学校への墜落と誤爆によって125名の民間人が犠牲になった史実をもとにした映画。その日、その場所に居合わせることになった人生の交差を描き、非常に優れた映画表現で複雑な世界の構造を示そうとしている。演出の緩急と暗転の巧みさは部分だけでなく全体の構成にもあって、標的誤認に続く一連の混乱から壮絶な救出作業に続くクライマックスは巧緻を超えて凄まじい。傑作であろう。

そしてこれもまた今、ウクライナで起きていることを想起させる映画なのである。もちろん、配信の予定はかねて決まっていたものであり、結局のところ我々の世界ではこうした悲劇が繰り返しあらわれ、救いといえるものは見当たらない。

ブラック・クラブ

『ブラック・クラブ』を観る。ノミオ=ラパスが主演のディストピア映画。敵の侵攻と長い戦いの果て、恐らくは低出力核の使用もあって荒廃したヨーロッパを舞台として、軍隊だけがかろうじて機能しているその世界で、命令をうけて氷上の長征を行うことになった民間出身の兵士たちの末路を描く。この設定が、いろいろと時節を捉えていて、まずはそこに驚く。

北欧らしきこの国に侵攻して民間人を無差別に攻撃する敵の正体はロシアでしかありえず、日常の崩壊を描く場面は今日を予見したかのようで、この映画の一番の見どころにもなっている。ライフラインの途絶と民家近くへの爆撃、その振動で舞う埃の繊細な描写は精緻であるがゆえに現実を想起させ、恐るべき同期を現出させているのである。今次のウクライナ侵攻がなければ、古臭い20世紀風の世界観だと思ったはずだとして。

ノミオ=ラパスは娘と生き別れになった母親を演じて、例により切実な印象の演技でうまい。美術もCGも北欧映画のいちばん高いあたりにあって、画面のクオリティも悪くない。人々が凍りついた海のイメージには慄く。

少し違和感があるとすると、この世界においてなおヘリが運用されているところで、そのリアリティはともかく、ならばミッションの必要性そのものが成立しないのではないかと思わなくもない。