サマーフィルムにのって

『サマーフィルムにのって』を観る。監督が松本壮史で、脚本にロロの三浦直之と監督その人がクレジットされていて、主演が伊藤万理華という贅沢な映画である。しかも、文化祭に向けての映画づくりを題材にした映画であれば、こちらとしては好きの要素しかない。期待通りのストーリーから意想外の展開を経て、エンディングに流れるCody・Lee(李)の『異星人と熱帯夜』まで堪能し、素晴らしく形のよい青春映画を観た気がしている。

何しろこういう設定だから、伊藤万理華の『映像研』を観たいという根源的な欲求を代替的に満たすこともできるのだけれど、クライマックスにはさらに演劇的な面白さがあって、なかなかいい感じに盛り上がっていると思うのである。そしてやはり、伊藤万理華は素晴らしい。

そして『窓際のスパイ』の第6話を観る。シーズン1はこれにて完結だけれど、巻末には『死んだライオン』のシーズン予告があって喜んでいる。

ゴーストバスターズ/アフターライフ

『ゴーストバスターズ/アフターライフ』を観る。『ゴーストバスターズ』の再びの開幕を告げるトレイラーのカッコよさにはシビれたものである。すでに亡くなっているハロルド=ライミスが演じたゴーストバスターズの頭脳、イゴン=スペングラー博士の次の世代の物語。

1984年の『ゴーストバスターズ』をそのまま受けた続編だけれど、2016年のリブートどころか、1989年の『ゴーストバスターズ2』もなかったことになっている感じ。ジェイソン=ライトマン監督はこの第2作に出演していたはずなのだが、どうしたことか。

孫娘にあたる主人公フィービーのキャラの立ち方は最高で、わかりやすい家族の物語でもある。ストーリーの骨格は親子の葛藤を描くファミリー映画ではあるものの、『ゴーストバスターズ』の当時のファンが40年後近く後に楽しめる話になっている。

130

この日、円安はさらにすすんで20年ぶりに1ドル130円を記録する。今やロシアルーブルよりも弱いといわれる通貨となった円だけれど、高騰する海上輸送の運賃が価格に上乗せされるのはこれからのことである。今年の後半にはその影響が広汎に及ぶだろう。

急激すぎる円安は不確実性を増すと日銀総裁は言ったようだが、インフレの昂進する世界で、低金利政策が継続できなければ中央銀行が債務超過に陥るという状況の不確実性こそが問題なので、結局は自らの政策が蒔いた種なのである。どこかのタイミングで逃げ出す算段を始めているのではなかろうか。

電子部品の高騰もあってパソコン周りの製品価格が上昇しているところに、この先の新製品のタイミングでは確実に円安ベースでの改定が行われるので、駆け込みの発注が積み上がっているだろうけれど、上海のロックダウンでアップルの製品も届くのは2ヶ月先というのが標準の納期なのである。それもどうなるかわからない状況でも発注し、仮に円が戻れば、安くなったといって買うのが人情というものだが、そうこうしているうち、国民全体の購買力は確実に低下していくだろう。

この日、国連のアントニオ=グテレス事務総長がロシアの次に訪問しているキーウにミサイルの攻撃が行われる。極めてロシア的なメッセージだという気がする。

映像の世紀 バタフライエフェクト

『映像の世紀 バタフライエフェクト』を観る。100年前のスペイン風邪の流行とそれがもたらした歴史の流れを語り、COVID-19流行とmRNAワクチンの開発までを題材とした内容で、新しく得た知見はほぼなかったけれど、疫病の流行と人間の所業はやはり変わることなく、このたびのパンデミックが、やがて人間の手になるより大きな災禍をもたらしても不思議はないことを暗示していると見えなくもない。

そういえばウクライナでの侵略戦争ではCOVID-19の影響がほぼ語られないけれど、戦時下においてそうした情報が隠蔽されるところまで含めて、人間のやることは変わっていないのであろう。

ドイツへの巨額の賠償金に反対していたウィルソン大統領が、スペイン風邪に罹患したことで英仏の強硬姿勢に抗しきれず、その後のヒトラーの台頭につながったというシンプルな歴史観は、まぁ、どこまで定説といえるのか疑問は残る。

袋小路

ユヴァル=ノア・ハラリがウクライナでの侵略戦争について述べた記事を読む。世界経済が物質から知識を基盤とするものに変化したことを根拠として、他国を征服することで得られる採算性は低下しているという論旨はハラリ一流のもので、人類史的には共同体の資源配分が物理的な戦争以外の項目に行われることで人類そのものの変化を促していくというヴィジョンは心強い。それもこれも弱肉強食を選択とみて、これを許容しないという点にかかってくるという主張もその通り。

一方、本邦ではこの機に防衛費を2倍にしようとする主張があるようだけれど、その価値観の台頭は結局のところ避けるべき退行であり、緊張関係を口実にした旧弊な資源配分はこの国の衰微を加速するだろう。

改装

WordPressのテーマはしばらくAstraを使っていたのだけれど、もともと要素は最小限なので、何も込み入ったテーマを使うこともないと思い立ってTwenty Twenty-Oneを復活させる。背景色を薄い紫に変えただけの設定は、かつてのままで特に面白味もないのだけれど、最速であることだけは間違いなくて、0.05secくらいでページを表示する。もちろん、ただの自己満足であることもまた間違いないとして。

トップページの記事を全文にするか、抜粋にするかは悩むところで、このところの長文化にともなって表紙のスクロール量が増えてしまっているので今回は抜粋表示にしてみる。この一覧性の悪さはあまり好きでないので、もしかしたら早々に変更するかもしれない。結局のところすべてミニマルな初期設定に戻っていく気がしていて、それはサイト運営ばかりでなく、生来の性質である気がしている。

チューズ・オア・ダイ

『チューズ・オア・ダイ 恐怖のサバイバルゲーム』を観る。カセットテープでロードしていた80年代のゲームを掘り起こしたことで、これに取り憑いた怪異が現実を侵食し始めるという設定のホラー。アイディアとしては『リング』を参照している様子がある。雰囲気は悪くないのだが、予測不能な展開も度が過ぎて、何だか訳がわからないうちに話は終わる。

だいたい、当時のゲームのロード時間の長さといえば今では失われた感覚だろうけれど、映画の題材になるほどのスピードはなかったものである。この部分のリアリティを追求すれば随分と間の抜けたものになったであろう。何かと雰囲気だけと言えなくもなく、これは企画倒れというものではあるまいか。