DUNE 砂の惑星

『DUNE 砂の惑星』を観る。ドゥニ=ヴィルヌーヴが監督であることと近年の映像技術が、この重厚な物語の映像化を非常に見応えのあるものにしている。フランク=ハーバートの小説にインスパイアされた創作は数多あるとして、原点にかえってスペースオペラの新たな基準となりうるイメージの美しさを実現した本作もまた素晴らしい。巧妙な脚本はこの尺での『DUNE』を成立させているし、ドゥニ=ヴィルヌーヴ特有の画面と色彩も好きである。

タイトルにPART 1とあるけれど、続編が正式にアナウンスされたのは21年10月で、すんなりと23年10月という公開につながればいいが、この続きはかなり楽しみ。主人公のポール=アトレイデスを演じるティモシー=シャラメも貴公子という言葉そのままの風貌で尊い。

窓際のスパイ #3

『カムカムエヴリバディ』は112回にして最終回。ささやかなつながりの物語であるからには、さまざまな伏線を丹念に回収して形よく収めるエンディングとなっている。岡山の雉真だけでなく、桃太郎というあからさまな名前の登場人物をもちだしてきたからには、どのようなエピソードを添えるのかという興味で、かねて符号を探していたのだけれど、最後に桃太郎が剣(ケン、犬)とCurious George(猿)を連れ、キジ真(雉)のユニフォームを着て甲子園に出場したとあって、なるほどと感心したことである。それに続くのは「めでたし、めでたし」以外でありえず、市井のひとたちの物語であった本作には相応しい。

『窓際のスパイ』の第3話を観る。いよいよゲイリー=オールドマンが演じるジャクソン=ラムが動き出す。クリスティン=スコット・トーマスのダイアナ=タヴァナーと、運河を眺めながら交わす会話は前半のクライマックスであろう。その水面は死の象徴であり、ロンドンルールでプレイをするタヴァナーの脇の甘さに、モスクワルールで生きてきたラムが警告を発する会話は奥行きがあって、脚本がなかなかよく出来ているのである。面白い。

おすわり

千葉県で予防接種に来ていた大型犬が逃げ出しニュースになっていたのだけれど、捜索にあたった警察官がおすわりを命じたところ、その場で待機して吠えることもせず飼い主を待っていたという続報があって安心していたのである。晩のニュースでこれを取り上げたことにもやや驚きがあったのだが、警察が捕獲というキャプションに加えて不安がる付近の住民という定型を添えるあたりは、反イヌ勢力の策謀の影すら感じる。その実、いつもの報道をやっているだけなので余計タチが悪いのである。

同じ日、アストラゼネカのワクチン1億2,000万回分のうち、およそ半分が廃棄される見通しというニュースもあったが、これをアベノマスクと同じフォーマットで報じているのもいかがなものか。出来たばかりのワクチンを確保したのは責められるべきではないし、血栓の有意な発生を把握して使用を止めたのもむしろ称賛されるべきで、安倍のアベノマスクとは無論、話が違う。

封鎖

オミクロン株の伝播のリードタイムの短さが、中国のゼロコロナ政策をも打ち破ろうとしている。上海の都市封鎖は想定されるもっともハードなかたちで行われているようだが、それでも出口がみえないのであれば、いずれは挫折を余儀なくされ、爾後の世界の押さえ込み戦略にも大きな影響を与えるのではなかろうか。

グローバルサプライチェーンに現れた突然の行き止まりが世界にあたえる影響は今後、波及的に大きくなるだろうし、ロボットとドローンが外出禁止を警告するディストピア社会のイメージは、民主主義を標榜する社会の為政者にとっては悪夢でしかないはずである。結局のところ、ウイルスは人類を圧倒した。

かわせみ3

『カムカムエヴリバディ』の最終週を観ている。本日は視聴者全員が既に確信していたアニー・ヒラカワの正体が明かされるカタルシスの回。ラジオ越しに森山良子の告白が流れ、カメラはセリフのない深津絵里の表情の変化を長回しで映すという、全編の山場に相応しい演出で役者は完璧にそれに応える。画面に入るオダギリ=ジョーの様子もよくて、なかなかの大仕事だと思ったことである。

Macの日本語変換はデフォルトのスマート変換をつかっていたのだけれど、軍靴に足を合わせるのを基本的なスタイルにしているとはいえ、入力の修正にかかる労力が看過できないと思い立って物書堂の「かわせみ3」を導入してみる。振り返ると2014年には「かわせみ2」を利用していて、スマート変換の実装以来の回帰ということになるけれど、ディベロッパーによる地道な改善の成果か不具合はほぼ検知されず、細かい設定に手を入れたこともあって日本語入力にかかわるストレスはほぼ解消されたみたい。

第16話

『二十五、二十一』と『気象庁の人々』がともに最終話を迎える。『二十五、二十一』はラスト前に公式のアカウントが微妙に期待値を調整しに来ていた通りのサッドエンドで、この数週、無理な解釈を重ねてハッピーエンドに向けたTheoriesを積み重ねてきたファンの努力がただ愛おしい。主人公ヒドの母親は認知症を患っておりペク=イジンを娘の夫だと認識できていないというトリッキーな伏線解釈などがその極北で、まぁ、そのあたりは楽しくもあったのでよしとする。

一方、『気象庁の人々』はオーソドックスなハッピーエンドに向かう。お仕事ドラマとしての雰囲気で形よく締めるあたりは、定型というもののよさを弁えたつくりで、ずいぶんと安心して観られると思ったものである。終盤にきて急速に株をあげたチン課長の母親の「この世で一番バカなセリフは、愛しているのに別れた」だという指摘は、この日、『二十五、二十一』の最終話を観たファンの支持を広範に集めたに違いない。

そして失地回復は不可能であろうと思われたハン=ギジュンの最終的な評価が、そう悪い奴でもないというところに落ち着くのだから、いろいろと幸せな物語だったというべきなのである。

リトル・フォレスト 春夏秋冬

『リトル・フォレスト 春夏秋冬』を観る。橋本愛の日本版の映画ではなく、キム=テリ主演の2018年の韓国映画。『二十五、二十一』も最終回を迎えるこの週末、キム=テリ成分を積極的に補っておこうという目論見だが、この”いち子”(役名はソン=ヘウォン)もなかなか魅力的な造形となっている。もちろん、出てくる料理も風俗も韓国のものにアレンジされているとして、この寒村での生活はどこか余裕があって、日本映画にはあったサバイバル一歩手間の切実さはやや希薄。やはりキム=テリのための作品であるには違いなく、しかしもちろんこれはこれでよいものである。

この日、北部でのロシアの退却につれ、占領下で行われた暴虐が明らかとなり伝えられる。ウクライナのみならず、チェチェンであれシリアであれ、なお支配にある町では現在進行形で起きている戦争犯罪の実相だが、またも事態を一歩進めるだろう重さがある。サハリンの権益を維持するというのが本邦の国益というのなら、その姿勢を許さない世界の流れも出てくるのではないか。