疫神記

パンデミックを経験している最中にどうかとは思うのだけれど、遡ると『復活の日』くらいからこっち、パンデミック小説が好きなので近刊の『疫神記』を読み始めている。何しろ上下分冊で1,500ページぐらいある大冊なので、いつ読み終わることになるのかはわからない。いちいち長いのは少しキングっぽいのだけれど、書きぶりは読み易いのでぐいぐいすすむ。パンデミックものといっても事前情報をほぼ入れていないので、このままパラノーマルな方に向かってもおかしくない展開。恐るべき吸虫ロイコクロリディウムのことを思い出しながら読んでいる。原著の初出は2019年とかなので、COVID-19以前の幸せなパンデミック小説なのである。

この日、国会で補正予算が成立する。あわせ、1億総投資などという掛け声を聞くようになるが、僅かにあった平均賃金上昇による再分配の議論を飛ばして今さら総動員のキャッチフレーズとは。分配側は円安メリットと古臭いトリクルダウン論法で見て見ぬふりということだろうが、輸送を含む全面的な物価の上昇と急速な景気後退が全てを吹き飛ばすだろう。格差による分断のさらに進んだ素寒貧の1億総ギャンブラー国家というのが目指す社会像ということになる。

高騰

イギリスではフィッシュ・アンド・チップスの材料と油が値上がりして、ひとつ11ポンドで売らなければ採算が取れない状況だというニュースを読む。ここ1年の間にマダラは75%、ヒマワリ油は60%、小麦粉は40%それぞれ値上がりしたということだが、小麦粉の値段はさらに上昇することになる。ウクライナでの戦争に加え、インドの異常気象が収穫に打撃を与えた状況で、今後5年以内に世界の平均気温が産業革命前の1.5度以上になるシナリオは五分五分、そうでなくとも1度以上の上昇をみることになって、猛暑、豪雨、干ばつにより農業生産の不確実性は著しく高まっていく。インドではその結果が既に現れているということである。不確実性というのも、主に人間の目論見が達成できないという観点であって、気温上昇幅が1.5度となれば、10年に1度の猛暑事象が10年に4回以上発生するというのは、むしろ確実性の高い話なのである。

日常にあっては、そのスケールの違いによって、自身が人類史の変化点にいると認識するのは難しいが、パンデミックと戦争に加えて気候の大変動によって2020年代が世界を大きく変える10年であっても驚かない。

あの家に暮らす四人の女

『あの家に暮らす四人の女』を観る。三浦しをんの小説を原作とするドラマ。あの家に暮らす女四人が中谷美紀、吉岡里帆、永作博美、宮本信子という分厚いキャストで時折、不穏な空気がありながら事件にはならない安心感があっていい。河童の川太郎という異様なお題でこの物語を駆動しようという発想が一体どこから来たのかという謎はあるとして、女優たちの仕事ぶりがほのぼのとした空気をつくっているあたりも、やや類型の感はあるとして悪くない。

『鎌倉殿の13人』は第21話にして新垣結衣演じる八重は千鶴丸と同じ水難に遭う。正直言って、ごく序盤だけの出演だとばかり思っていたのだけれど、前半の重要人物で、恐らくは今後の義時の行動に重要な動機を与えることになるのであろう。それにしたって、この欠落をどのように埋めればよいのか。

京都人の密かな愉しみ

もちろん、『京都人の密かな愉しみ Blue 修業中』の最終話『門出の桜』を観る。劇中もこのシリーズの完結にかかった5年と同じくらいの時間が流れたことになっていて、しかしCOVID-19の影響はない様子で描かれる。食については春の味覚、筍を題材として、前作と同じく99分のフォーマットはドラマパートを重視した作りで、大原のパートがやや後景化していたりするので、全体のバランスはほどよい。青の時代というテーマに沿ったかたちで話はきれいに収まり、京都から一度離れることになる結末が前シリーズと韻を踏んでいる。

女将の亭主の駄目さ加減とか、細かいエピソードまで回収しているのはいいとして、幸太郎と釉子の恋模様は、そういう話だったっけという気がしなくもないけれど、林遣都と吉岡里帆であればまぁそうなのだろうという感じになっている。結末にかけてのこういう急展開も、シリーズの伝統なのである。

同一設定での主役交代まで乗り越えたこのドラマだが、エドワード=ヒースローという変わらない要素も配置して、2015年初回作品からの経緯を大事にしているのは、さすが伝統を語るドラマというべきである。ほとんど半年ごとに放送されていた頃に比べると制作の難易度も上がってきているような気がするけれど、きれいにおしまいとするには惜しいアセットになっているのではなかろうか。

シン・ウルトラマン

久しぶりに映画館まで出かけて『シン・ウルトラマン』を観る。パンデミックで遠ざかってはしまったけれど、いうまでもなく、映画館での鑑賞体験はいいものである。空想特撮映画とのタイトルとともにはじまる本編は、冒頭の90秒で「禍特対」設立の経緯を語る情報量の多いもので、思わず居住まいを正す。ゴメス、マンモスフラワー、ペギラ、ラルゲユウス、カイゲル、パゴスと六体もの敵性大型生物を撃退する流れは、さしずめ『ウルトラQ』に相当する世界の構築でなかなか凝っているのである。

科特隊ならぬ通称「禍特対」にはオレンジ色のジャケットも検討されていたそうだけれど、スーツ着用でリアリティ側に倒したのは『シン・ゴジラ』の成功を解釈した結果といえ評価出来る。官僚システムが駆動する様子はないとして、「外星人」がやってきて政治的手法で浸透しようというアイディアには盛り上がる。本邦が米国の属国であるというセリフを差し挟んで何らフォローなしという世界観は、B-2の本土爆撃のシークエンスとともに正しく『シン・ゴジラ』と通底している。

カラータイマーのないウルトラマンのデザインは、成田亨画伯の作品をそのまま想起させるものではあるけれど、こちらとしては同時に小林泰三の『AΩ』を思い起こしていたのである。その作者も、存命であれば本作を大いに喜んだに違いないのだが。

本編ではメフィラス星人に巨大化させられるメンバーという頓狂な流れも再現されていたけれど、そこを膨らませるのかという意想外の文脈が縦横に広げられていくあたりは楽しい。そして、例の「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」というコンセプトも、エヴァンゲリオンを同列に置くのはさすがに無理があるのではないかと思っていたけれど、ゼットンの造形をみるとその違和感さえ薄れてくるから空想の力というのは素晴らしいものである。

デジタルトランスフォーメーション

故あって、登記・供託オンライン申請システムというものを使ってみる。そもそも、登記簿謄本をオンラインでも取得できるということを知らなかったのだけれど、使ってみればインターネットバンキングを使った手数料の支払いまで連動していて、ワークフローとしてはひと通り必要なものが揃っているみたい。まず、用は足せたので、非常にありがたいものだと思ったのである。

しかし、これはかなり以前から実現されている本邦DXの先駆けの姿とみえて、テクノロジーとページデザインには21世紀初頭の雰囲気が漂っている。UX設計の不具合を、箇条書きの注意書きで補っていくスタイルであれば、洗練されたページデザインなど望むべくもない。Webページであるにもかかわらず、昭和の高度成長期に建設された法務局のイメージを体現しているのである。

どこかで生真面目なウォーターフォール型の開発を行ったベンダーがあったとして、Chromium対応改修などの必要に応じた改善はすすめているものの、出来上がった仕組み全体の改修には予算がつかないという気配は、ニッポンの現在地に重なって切ない。まずは金の使い先だが、その使い方を時代に適応させていくことによって社会というのはずいぶんと良くなっていくはずだと思ったことである。

古書の来歴

記憶は繋がっている。『ステーション・イレブン』を思い出したことで、当時読んでいた『古書の来歴』を再読したくなって、これを探したのだけれど、既に絶版らしく、古書で買い求めたのである。『古書の来歴』だけに。

そのこと自体はよくあることだが、ほんの10年前、権威のほどはわからないけれど、翻訳ミステリー大賞をとった作品がその状況で、本邦の翻訳出版をめぐる状況は改善の兆しを見せることなく、継続的に悪化しているとしか思えない。円安の状況において買付と出版の採算も悪化し、インターネットを通じて機械翻訳の情報が拡散する世界では、質のよい翻訳は速やかに駆逐されるであろう。

構造的には人口減少によって日本語の話者すら漸減し、教育の退廃と教養の衰退によって本邦は知識経済の辺境となる運命である。世界の文脈から外れ、国自体が買い叩かれる安い国となって、それゆえに観光産業が隆盛する衛星国化は既に始まっているが、それを嘆くものは少ない。