光速

これまで地元ケーブルテレビのインターネットサービスを利用していて、遡ると2000年当時はブロードバンドの先端にあって永らく快適に利用していたのだけれど、幾たびかの増速も経て速さはそこそことはいえ、終端が同軸ケーブルではサービスにも打ち止め感があって以降の展開はなさそうなので、光回線のサービスに移行することにする。しかしこの期間のインターネットの浸透はやはり歴史上の大変革というべきであろう。

宅内工事も行っての設備移行だけれど、体感的にはサービス速度もさほど変わらないというのが正直なところで、スピードテストの結果を見るとダウンロードで3倍、アップロード側はほとんど10倍という変化にしては、人間の性能アップがついて行かない。とはいえ、ベース性能の向上は気がつかないところでQOLを向上させるであろう。

フリー・ガイ

『フリー・ガイ』を観る。ライアン=レイノルズが主演のSFコメディ。オープンワールドのゲーム世界を舞台にして、そこに生きるNPCの視点から世界を構築していく手つきが楽しい。『レディ・プレイヤー1』とウィル=フェレルの『主人公は僕だった』の幸福な融合といったストーリー。特に後者は好きな映画なので、本作のアイディアも楽しめたのである。現実パートの資本と強者の横暴に重ねて、ゲーム内のモブキャラが世界の枠組みに異議申し立てをする展開は強いメッセージを感じさせるもので、ただ楽しいだけでもない。このあたりが評価されて2021年の収穫に挙げられることも多い作品だが、それもディズニー配給というところに本当の絶望はあるとして。

この地域も梅雨に入ったようだが、夜半にかけて集中豪雨に近いイメージの雨が降るようになって、これも気候変動の一様態ではないかと疑っている。もとから山間の気象ではあるが、こういう降り方はなかったと思うのである。

マークスマン

『マークスマン』を観る。リーアム=ニーソンが主人公のロードムービーで、射撃の的中率100%の男が麻薬カルテルと戦うというのが日本向けの惹句なのだけれど、確かにリーアム=ニーソンが狙いを外すシーンはないとして、そもそも飛び交う弾の数は数えるほどである。監督が『人生の特等席』でデビューしたロバート=ローレンツだけあって、クリント=イーストウッドの『グラン・トリノ』に、『刑事ジョン・ブック 目撃者』ともしかしたら『マイ・ボディガード』の風味が少し入っている感じ。

アメリカの価値観を強くアピールする内容で、物語はメキシコからの密入国が日常となっている国境の牧場から始まり、元海兵隊でベトナムにも2回派遣された男が国境でのトラブルに巻き込まれ、託された子供をシカゴに送り届けることになる。このロードムービーは西ではなく、アメリカの心臓に向かう旅なのである。色褪せたアメリカの国章のイラストを背景に、メキシコ人の子供に銃の撃ち方を教えるシーンがあって、いろいろどうかと思うのだけれど、本国の一定の層には刺さるのであろう。その点ではアクション映画に仕立てようとしている日本の宣伝の気持ちもわかる気がするが、誰にとっても不幸でしかない売り方はやめたほうがいいと思うのである。

この日、日銀の黒田総裁が、家計が値上げを許容しているという自身の発言を誤解を受けたといって訂正する。もとの発言は前後の文脈を含めて誤解の余地なく言葉通りのことを言っているのである。中央銀行が言葉をごまかすようになるとは、いよいよ本邦もやばくなってきたと思わざるを得ない。

ハケンアニメ!

『ハケンアニメ!』を観る。辻村深月の同名小説の実写化。斉藤瞳監督役で吉岡里帆、王子千晴監督に中村倫也。主要な登場人物では行城が柄本佑、有科香屋子が尾野真千子、並澤和奈が小野花梨となっていて、まず、キャスティングが素晴らしい。柄本佑は原作とはややイメージが異なる実装だけれど、このスーツ姿が上書きしてしまったのではなかろうか。そして、それを言うなら主演の二人だが、ことに吉岡里帆は彼女のいいところがくっきりと出て、いろいろ尊い。

脚本の政池洋佑は、三つの中編とエピローグ的な短編からなる原作を再構成し、新たに同時期、同時間帯に放映される2作の対決という対立軸を導入して128分という映画の尺にうまくまとめている。結果、後景化した原画請負会社ファインガーデンのパートも、悪くないアクセントとして活かしているし、全体として視聴率と円盤の売り上げという要素がやや強調されているとして、「覇権アニメ」というもともとのコンセプトにこそ架空の競争を捏造しているようなところがあるから仕方ない。そういう価値観は存在しないと思うのだが、どうなのだろう。

それもこれも措いて、吉岡里帆である。不器用で熱血、芯の強さの雰囲気を纏わせたら当代一ではなかろうか。耳にAirPodsをつけているシーンがあって、この巨大なAirPodsは特注なのかと思うくらい顔の大きさが小さいので、観ている方はびっくりして我に返る一瞬があるのだけれど、それはそれとして、脚本の要請に従い原作とも異なるキャラクターを確立して、すごくいい。メッセージのあるセリフは原作の特徴でもあるけれど、これを決めるのは簡単な仕事ではないはずである。

役者の仕事だけでも素晴らしいが、ところどころバシッと奥行きのある止め画を入れてくる吉野耕平監督の仕事ぶりも際立っている。全体のリアリティは、ネットとカリカチュアライズされた制作現場以外の現実、制作現場と三つのパートに別れていて、その対照によって現場のリアリティが強調される仕掛けとなっている。ゼーレを模した会議のアイディアは秀逸。これに手を抜いたところがないアニメーションのパートが加わり、重層化された世界観が立ち上がってくるのは全体演出の効果というものであろう。傑作だと思うのである。

シーズン1

『疫神記』を読み終える。分量としては1,500ページほどもあって、前半は『フォレスト・ガンプ』の大陸横断みたいな話に、荒唐無稽なAIだのナノシステムだのという要素が絡んでくるのだけれど、現実の時節に合った社会の分断なども織り交ぜつつリアリティ側に振った話が進むので何だか読んでしまう。作者の念頭にあって、手厳しく描かれるのは陰謀論とトランプのアメリカで、市井の共感が物語をドライブしていく。

その心意気を最後まで見届けるつもりで集中的に時間を投じてきたのだけど、結末にかけてストーリー的な山場は用意されているとして、微妙に謎を残しつつ何なら続編に続くという終わり方は、シーズン2の制作が正式には決まっていないTVシリーズを観ている感じで、まじか、となっている。ううむ。

そしてこれもまた、カオスをカオスとして描くことができていない物語であり、陰謀論を批判的に扱いながら、その方法は陰謀論と同化する不思議な構造を持っている。おそらく、そのことに無自覚なのが話の奥行きに透けているのも残念なところであろう。東山彰良の『ブラックライダー』を思い出しながら読んでいたのだけれど、物語としての格はだいぶ違う。

ラプラスの魔女

『ラプラスの魔女』を観る。東野圭吾の小説が原作だという話だけれど、そちらは未読。予備知識もあまりなかったのだけれど、ラプラスの悪魔をあまりひねりなく題材にしたストーリーで、劉慈欣の『カオスの蝶』という短編の、末尾に付けられた註記を思い出す。

この小説に描かれていることは、人類の能力の限界ゆえではなく、この宇宙の基本的な物理法則および数学原理ゆえに実際には起こり得ない

隕石の例のアレとは、また、ちょっと違う気がするけれど、ことの真相が宇宙創世以来の壁抜けだったミステリーを思い出したものである。櫻井翔と広瀬すず、監督も三池崇史となれば原作にもビックネームをということなのかもしれないが、作者の中でさえ、ほかにも選択肢はあるのではなかろうか。そう思ってWikiを眺めたら、デビュー30周年を記念する本作についての著者コメントが引用されていて、いろいろ味わい深い。

これまでの私の小説をぶっ壊してみたかった。そしたらこんな作品ができました

当時は発売1ヶ月で28万部を売り上げたということだから、確かにビックネームなのである。

ザ・ファブル 殺さない殺し屋

『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』を観る。岡田准一が主人公のファブルを演じる実写劇場版の2作目なのだけれど、前作が『ザ・ファブル』で本作が『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』という分かりにくいことになっているのは何故なのだろうか。それはともかく、岡田准一にしか表現しえない個性のあるアクションが好きである。団地に組まれた足場を使ったアクションはスケールがあってその立体感に感動する。その抗争のなかで、誰も死んでいないとは俄には信じられないとして。

江口カン監督の演出と編集意図はわかりやすい。青年誌特有のミソジニーっぽい臭気が気になるが、これは原作もそうなのであろう。