群雄割拠

先刻ご承知の通り、エディターやノートアプリは試してみるのが好きな方で、これまで数多のアプリやサービスを渡り歩いてきたけれど、結局のところオーソドックスなツールに戻るというのを繰り返している。

生産性業界のこの数年の流行はZettelkastenで、最小単位となるアトミックノートをリンクして文脈化するコンセプトは、パーソナルナレッジマネジメントという一大分野を形成しつつある。Backlinkingは象徴的な機能で、Roam ResearchやObsidianが実装したこのファンクションは、ノートにもアウトライナーにもサービスにも吸収されて、かなり一般化したようである。

性懲りもなく、たまに新しい製品を探索してみるのだけれど、世に同好の士というのは多いもので、新サービスを評価する記事や投稿には事欠かない。これを提供する側も競争の厳しい分野であることを承知して参入してくるのである。PKMというのは、大方にとっては為し得ぬテーマであるがゆえに、見果てぬ夢ということであろう。

ObsidianをMacアプリのSwiftフレームワークに載せた雰囲気のReflect、Notionをエディター寄りにしたようなNotaが、最近ではやや目を引く感じだけれど、ニッチに切り込んだ仕様という印象で亜流の域をでないのではなかろうか。

そんななかでは最近、Y Combinatorのサポートも獲得したHeptabaseが一頭地を抜いているようにみえる。使い勝手はCraftみたいなのかとも思ったのだけれど、カードを使ったマップの機能は固有のもので、ワークフロー自体もZettelkastenを現代的によく咀嚼した実装のようである。この分野のツールを特徴付けているグラフ機能をもっていないのだが、実はグラフ化自体はアウトプットにさほど関係ないことを考えれば、かえって本質的な検討を踏まえているのではないかと思うのである。iPadOSには対応していないのだが、当初からMacとWindows/Linuxのクロスプラットフォームであるのも開発力の高さを窺わせて期待は高まる。

石子と羽男

『石子と羽男』を観る。TBSの金曜枠で、有森架純と中村倫也によるリーガルドラマ。塚原組の仕事であれば、いやがうえにも期待は高まるというものである。第1話の依頼人は赤楚衛二で、話の最後ではレギュラーキャストに合流する期待通りの展開。キャラもいいのだが、法律と社会と現代の病理を考えさせる話にしていくあたりに塚原あゆ子のドラマという感じが滲んで、作家性すら感じる。脚本はタイバニの西田征史、音楽はいつもの得田真裕。今クールで見逃せない作品のひとつといえるだろう。『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』も楽しみにしているのだけれど、弁護士もののドラマのアタリが続いている。

この日、全国の新たな感染確認は11万人を越えて過去最高を記録する。既にワクチンの効果があった3月の段階でもオミクロン株の拡大は1日200人以上の死者をもたらしていたのだから、このペースでの拡大ではいずれそれを上回る重症者と死者が到来することになる。最近の行動規制の緩和は、人的被害としては最大のピークと引き換えであったことを認識しているひとが多くないようにみえるのは、特定の意図にもとづく情報コントロールと無関心の結果というものであろう。

キャラクター

『キャラクター』を観る。『MASTERキートン』や『MONSTER』の原作を手がけた長崎尚志が脚本で『恋は雨上がりのように』の永井聡が監督を務めたスリラー。菅田将輝を主人公として、ちょっと豪華なキャストが名を連ねている。中村獅童と小栗旬の刑事のコンビがいい。

漫画家を夢見る主人公が事件の現場に居合わせてからのタイトルバックの不穏さが目を引くのだけれど、続く流れでは現場に入る中村獅童の刑事が不織布のヘアーキャップとマスクを着用して、細部に凝った世界観への期待が高まる。CM出身の永井聡監督のこのあたりの演出はさすがと思ったことである。小栗旬に「現実は地味」とメタなセリフを言わせる捜査側の作り込みは見どころのひとつで、テイ龍進が演じた脇役の先輩刑事が妙に有能だったりするキャラ立ちのバランスが絶妙。

連続一家惨殺事件という、そういえばあまりない題材を扱っていて、虚構にあわせて犯人が「仕上がって」いく事件そのものはいろいろグロテスクだとして、ぎりぎり見てしまうというあたりでうまく成立させている。SEKAI NO OWARIのFukaseが殺人犯にキャスティングされたのが話題になっていたけれど、そのフォロワーとなる辺見を演じたのが『家族ゲーム』の松田洋治だったことに驚く。久しぶり。

結末だけは黒沢清の映画みたいな感じだけれど、サイコな話にしてはわかりやすい構造がつくられていて、うまくまとまっている。面白い。

いろいろなものが急に明るみに出る局面となって、1ドルは139円を超えユーロとパリティとなり、COVID-19の新規感染は10万人に届く勢い。ヨーロッパの戦争と中国での断続的なロックダウンはグローバルサプライチェーンにそれぞれ波長の異なる打撃を与え、世界は沸騰する波の動きに飲み込まれつつある。もとより不可逆の変化は急激に起こるものだが、いくつかの臨界点を連鎖的に越えて、位相が転移していく過程に我々はいる。質的に異なる世界に向かっているのだという風の流れは感じるとして、その行先がどこかは誰にもわからない。急激な変化は次の変化の原因となる歪みを大きくして、さらに大きな変化を生む。

怒涛

この日、COVID-19の全国の新規感染確認は94,000人を越え、2月のピークに迫る。じわじわという感じではなく、倍加時間も1週間というイメージだから指数関数的な感染爆発を見ているということになるのではないか。長野県ではいきなり699人が報告されて、かねて事務処理上の限界が700近辺にあるのではないかと疑っていただけに、実態も見失いつつある。それ以前、最近ではいわゆる濃厚接触者も検査をしていないということを聞くから、これまでとは異なる感染の拡大が進行しているのである。

現時点ではワクチンによる重症化抑制効果だけが頼みだけれど、考えてみればリスクの高い群の接種を先行させているのだから、抗体の減少も先行するのである。そしてこの拡大を引き起こしているとみられるオミクロン株のBA.5は病原性が高まっているという話が出始めていて、よくない状況とみえる。

競争の番人

TVerで『競争の番人』を観る。どこかでみたタイトルだと思えば、新川帆立の近刊が原作。杏と坂口健太郎、小池栄子と大倉孝二という主要キャストに、敵役で山本耕史、小日向文世とあって、『鎌倉殿の13人』に通じる布陣の厚さを感じざるを得ないわけだが、何しろTVerが前提なので、いわゆるフジテレビ月9枠であることには気がついていなかったのである。杏が演じる白熊楓が元警視庁捜査一課の刑事で犯人をとり逃すミスによって公正取引委員会に左遷、という冒頭の展開で、何だかよくわからなくなっている。なんでやねん。原作者は定型、類型を恐れない作風だとは思うけれど、これはまた意味合いが違う改変ではあるまいか。

みれば脚本家は四人も起用されていて、雰囲気で話を運べば細かいことは言いっこなしというノリが人物設定にも垣間見ることができるわけだが、それがハイコンテキストな理解を要求していることに作り手が無自覚であるということに、いわゆる月9枠の問題があるように見える。常識を動員して話の展開を理解することが困難なので、たとえば海外に売ることができるようなコンテンツにはなっていないということを、そろそろ深く考えるべきではなかろうか。

不文律

少し前にジジェクが文化的な不文律の重要性について熱弁をふるっている動画が流れていて、それはポリコレの愚かしい側面について言及する文脈だったけれど、暗黙のルールが明示的なルールをどれほど真面目に受け止めるべきかを決定するという卓見には思わずなるほどと感じ入ったものである。不文律があるということを軽視すべきではない。

元首相の殺害事件について、犯人の供述から「特定の宗教団体」もしくは「特定の団体」への恨みが犯行の動機となったという話がしきりに報じられていて、しかし報道はその団体が安倍政権下で団体名の変更を果たした旧統一教会であることを明言しないことが話題となっている。1990年代に霊感商法を話題にして批判を展開していたあたりからすると、権力層への浸透は大いに進展したに違いないのである。何より、この不文律の存在はメディアのメッセージへの信頼を左右する。

そして、この禁忌自体は実に多くのことを説明する。自民党の政治的態度の多くがカルト教団の価値観を踏まえて決まっているという見方には膝を打ったものである。これは、観察の上ではその補助線も重要だとわかっている米国の現代政治の相似形で、自国のことを理解するのは、かえって難しいのかも知れないとさえ思ったものである。カルトはその現代的な適応能力によって、政教分離を骨抜きにしていくが、そうした構造自体は不変のものである。