ダリア・ミッチェル博士の発見と異変

アポカリプス小説が好きなので、ときどきその目的でAmazonをうろついたりするのだけれど、キース=トーマスの『ダリア・ミッチェル博士の発見と異変』はファーストコンタクトものであり、インタビュー形式のオーラルヒストリー小説でもあるというので反射的に買い求めてしまう。『World War Z』が極北であるように、滅亡とその口碑は絶妙なケミストリーを生み出す組み合わせなのである。

本作はやや生真面目なつくりで、興味のない向きには全く面白くない可能性はあるとして、趣味を同じくする特定読者には楽しめるであろう。『WWZ』があれほど面白いのは、元ネタのわかるさまざまな仕掛けが仕込まれてもいたからだけれど、そのあたりの遊び心はあったとしてもわずかとみえる。そしてタイトルの通り、ダリア・ミッチェル博士の手記が世界の終わりを語ることになるけれど、結果、視点のモンタージュや場面転換の大きさによるスケールの効果は減殺されていると思う。世界の終わりも自国中心のエピソードというのは、あまりにもったいないというものではなかろうか。

新世代

WTOがパンデミックの終了が視野に入ってきたといったのは9月のことだが、終わったとはまだいっていないこの状況で、この数日、またも新たな変異株の登場の話をよく目にする。先進国ではワクチンを前提に活動を再開してきたのだけれど、その結果として免疫逃避性能の高い新世代が立ち上がってきているというのはあらかじめ予想された自然の摂理だから、ふたたび猛威を振るうことになっても全く不思議はない。コロナは風邪式の愚かな言説が基礎的な予防行動を台無しにしたあとで、その脅威が一巡するまでに、またも膨大な超過死亡が積み上がることになる。景気後退の本番はこれからという時間軸を考えれば、何もかも見て見ぬふりということさえあるだろう。

『鎌倉殿の13人』は一週あけての第39回。残り10回ということだから、全49回ということになるのだろうか。北条義時が最終形態となって、自ら不穏の種を蒔く。菊地凛子演じるのえは、裏表のある厚かましいだけのキャラクターではなくなりつつある。

ひまわり

ロンドンのナショナルギャラリーに展示されていたゴッホの「ひまわり」に環境活動家がトマトスープをかける。手を壁に接着して絵画の保護と地球の保護のどちらが重要なのかを問うまでが抗議活動で、絵画そのものはガラスで保護されており、そのこと自体は活動家にもわかっていたということまで考える必要があるだろう。抗議を行った人たちは、芸術を棄損することが目的ではなく、なぜ地球環境の破壊にゴッホの絵ほど心を痛めないのかを訴えたかったということであれば、憤慨するだけでよいのか。

懐古趣味

配信の始まったノイタミナの『うる星やつら』を観る。この時代でのアニメ化はどういうものかという興味はあったけれど、かなり順当な出来栄えでダイアログも原作をほぼ忠実になぞった昭和のアニメになっている。もちろん、これはこれでありとして当時、原作派かアニメ派かといえば圧倒的にアニメのアナーキーさを好んでいたのだということもまた、思い出す。少なくとも本作は放映開始が決まったのがオンエアひと月前というような出自ではないので、いろいろきちんと出来ているのである。初見のひとがみて面白いかはわからない。そして遠くまで来たと思ったら一周、回って同じ地点だったような気がしなくもない。

マイナンバーカードの用途を強引に拡張しようという策謀がすすんでいる。ここまで粗暴な様子をみると、金融の綱渡りと債務増加の果て、預金封鎖の実務的準備をおこなっているという観測にも現実味がでてくる。来るべきハイパーインフレの時代には、個人と紐付けされた口座からの出金を規制することでマネーの流通を抑える政策がとられるだろう。そしてそれは何の前触れもなく行われるに違いないのである。

チェーンソーマン

『チェーンソーマン』の第1話を観る。始まる前から煽りに煽る番宣をかけて、楽曲にも資源を厚く配分するというスタイルで、投資も大きいがリターンも見込めるという大きなプロジェクトである。アニメスタジオのMAPPAが、製作委員会方式によらず出資を行なっているということだが、自らのクオリティコントロールでより大きなリターンが見込めるとなれば、自ずから作品品質も上がるというものだろう。そして実際に、初回から驚くべき作画なのである。

一方で、会社の劣悪な労働環境についてアニメーターによる内部告発が行われていることを知れば、さもありなんという気がして、あらゆる偉大な仕事と分かちがたい搾取の闇の奥行きを想像する。このあたりは『この世界の片隅に』を世に出した会社というプロファイルとは馴染まない気がするとして。

そして、作品そのものは、原作の世界観に従ってあまりにも血みどろなので、猟奇事件でも起これば窮屈な社会では自粛を余儀なくされるだろう思ったのだけれど、まぁ、いかにも余計な心配というものである。

下方修正

IMFは世界経済見通しをさらに修正して来年の成長率を2.7%においたことを発表する。7月の改訂時点で既にリスクが主に下方にしか存在しないとしてことを踏まえれば、ほとんど既定路線といえるけれど、改めて2%を下回る確率が25%としたことは、この先の見通しにも厳しさしかみえない。このインフレ修正の過程はコロナ禍での財政支出拡大の巻き戻しでもあるので、既に起きてしまった危機であるからには。

過去10年で世界の債務は90兆ドル増加したそうだが、経済成長による増加は20兆ドルに過ぎなかったという。金利上昇をこの差分の取り立てのプロセスと考えれば、自由落下に近い衝撃があるのではなかろうか。結局のところ、古典的な金融秩序からの警告には、もちろん相応の理由があったということである。現在のところ、世界の潮流とは全く異なる道をすすんでいる本邦にしたところで、このまま独立変数であるかのように振る舞うことができるとは、とても思われない。

ARM

さきごろ、M1 ProのMacBook 14にParallels Desktop 18を導入してWindows 11を動かしたところまではよかったのだけれど結局、速い速いと感心した上でOfficeまでインストールし、ロクに使っていない。Microsoft謹製のOffice 365やMicrosoft Edgeは64 bitで動くけれど、たとえばChromeは32 bitだし、Google日本語入力もインストールは出来るとして微妙に不安定で完全動作というわけではないみたい。いちど向こう側に行ってしまうと何をしても戻ってこないという印象があって、日常使いというわけにはいかない感じである。

同じARM版でもKali Linuxで動いているMozcはきちんと動作しているし、目新しいところも多いので仮想環境のOSとしてはこっちの方をよく起動する。ディストリビューションとしてのKali Linuxは細かいところまでよく手が入っていて、何もしていないのにターミナル用のプラグインまで動いているのには驚いたものである。英数配列のキーボードの日本語切り替えにShift + Ctrlが設定されているあたり、あらかじめVM上での利用を想定しているのかともみえて結局のところ、こちらの方が最適化がすすんでいるようである。