Amazon Primeで『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』を観る。庵野秀明のキービジュアルを観たことがあるくらいで、どんな話かも知らなかったけれど、処女作にはクリエーターの全てがあるという言葉の通り、ひたすらカッコよさを追求したレイアウトとカメラワークには、後のヒット作に通じる作家性があって、いや、なるほどと思ったことである。もちろん、30年前の自主制作フィルムなりの荒い画面には違いないのだけれど、そのカッコよさの認識は、画面の精細やミニチュアの精緻によってもたらされているものではないという点が明らかで、人間の認知の仕組みを考える上でも興味深い。
Twitterをめぐる騒動はもちろん続いていて、ハードコアな労働を求めるマスクの通牒に応じて多数のエンジニアが辞めた結果、事務手続きさえ滞って、そろそろサービスが終了するのではないかという話になっている。イーロン=マスクのやることに深謀遠慮を確信している人が一定数いることが観察されるのが不思議だけれど、成功するまで続ければ成功するということを信じているだけのようにみえる。もちろん、大きく失敗したって不思議はない。問題は何を成功とするかだが。